「エブエブ」に茫然

血湧き肉躍るアクションやサスペンスフルなミステリー作品は大好きですが、 マンガ、SFまた前衛とかゲージュツが苦手でそれらの味が濃くなると腰が引けてしまいます。

ですから予告編だけで「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」は自分に不向きだと判断がつきましたし、それを補強するかのようにネットには二時間十八分のあいだで高齢者を主に十人以上の観客が途中退席し、二度と戻らなかったといったコメントが寄せられていました。よくもわるくも大変な力業で、安全志向のわたしとしては辞退、しりごみ、三舎を避くに如かず、賢明であろうとすればパス以外の選択はありえません。けれど賢明の反対側には意志薄弱でミーハーな自分がいて、結局のところ話題の「エブエブ」をどれどれと覗いてしまいました。

ちなみにわたしが実見した途中退席者は高齢者ではなく若い衆一人だけで、手にも肩にもバッグはなく、トイレだろうと思いましたがそれにしては戻りが遅く、リタイアしたのかしらと思っているとようやくご帰還になりました。おそらく一休みして再挑戦の意欲を高めてきたのでしょう。

先日観た「イニシェリン島の精霊」では自分勝手に交友謝絶を宣言した男が、自身の指をちょん切って相手の男に見せびらかしたりして、わけがわからないうえに不快でしばらく映画は止そうかと思いました。ひょっとすると「エブエブ」はこの二の舞になるかもしれないと心配しましたがさいわい杞憂に終わり、途中退席も免れました。

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そして第一感は、製作陣の目論見が観客を戸惑いと困惑に誘うことであるとすれば、見事というほかない作品だというものでした。つぎに第二感では、このドラマならざるドラマ、映画というよりCGアートが自由奔放に編集された映像はマルチバース(複数の宇宙の存在を仮定した理論物理学の説)を踏まえた映画製作のための実験的、先駆的な取組みなんだろうか、「なんでも、どこでも、いっぺんに」を描こうとすればこんなふうになるのかなと考えました。

ここには不可解、不条理、シュール、ぶっ飛びの想像力などがこれでもかとばかりに詰まっていて、わたしにはストーリーの整理がつかない退屈と新奇な映像がもたらす目の眩みにようやく耐えた二時間十八分で、いまこれを書いていてもストーリーを要約できない身悶え感があります。 最大公約数としては公式サイトの「家族の問題に悩み赤字コインランドリーの経営に頭を抱えるフツーのおばさんが、新たなヒーローとして世界を救うという、全人類が初めて体験するアクション・エンターテインメント」となりますが……

むかし鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」を観たときの気持とよく似ています。そういえばあまりに評判がよいものだから奥さんを誘っていっしょに映画館へ行き、あとでこんなわけのわからない映画に二度と誘うなと叱られた友人がいて奥様の気持がよくわかりました。

ところが十数年のちに「ツィゴイネルワイゼン」を再見したところ、よく理解できたし、魅力も感じました。友人の奥さんについては存じませんけれど。ひょっとすると「エブエブ」についてもこんなふうになるのかもしれません。

なにがなんだかわからなくても待てば海路の日和のたとえもあることですから、無理に分かろうとせず、ぼんやりその日その日をすごす、すくなくとも無理な努力は避けておきましょう。

(三月十五日 TOHOシネマズ上野)