フランス的ケチ 再論

フランスでは金利で生活する人をランチエ、退職年金で生活する人をルトレテと呼ぶ。つまり仕事をしないで老後の生活を送る人びとを、生活費の出どころによって分類している。老後の生活への細やかな視線とフランス人の隠居ごのみをうかがわせる言葉である。

河盛好蔵「ランチエとルトレテ」に引用されているユマニスムの作家デュアメルの一文には「十九世紀の最後の十年は若干の町はランチエとレトルトでいっぱいだった」とある。一八八四年に生まれ、一九六六年に亡くなった作家の実見した光景としてよいだろう。

十九世紀末から第一次世界大戦までのフランスはベル・エポック、古きよき時代と呼ばれた時代で、人びとは若いときせっせと働いてお金をため、退職してからは金利や年金で悠々自適の生活を求めたのだった。

いまはどうか。日本の金利と年金をめぐる状況から推し量るにランチエやルトレテになるのはかつてよりずいぶん困難になっているだろう。世知辛い世のなかである。

ついでながら、いくつかの国語辞典でランチエとルトレテを引いてみたがいずれも立項されていなかった。むかしもいまも日常生活で用いる外来語ではないから当然ではある。英和辞典にもふたつの単語に対応する英語はなく、日本や英米に比べるとフランス人は隠居がお好き、といえそうだ。少くともひとむかし前までは。

隠居がお好きかどうかの根本には人それぞれの生き方がある。これについてうえの「ランチエとルトレテ」には、金利や退職年金で生活するためには決断を必要とする、これだけあれば一生困らないという金を蓄めるのは不可能であり、それよりも、自分はこれだけの生活費があればやってゆける、いややってみせるという決意がなければランチエにもルトレテにも踏み出すことはできない、とある。

この決断、踏み切りのよさにフランス人は長けているというのが河盛好蔵先生の見立てで「もう少しお金を蓄めてからとぐずぐずしているうちに、折角の楽しむべき老年をふいにしてしまうようなことを彼らはしない、その代り、彼らは限られた生活費で生活する技術にきわめて長けている」と述べている。

独立自尊、悠々自適はそれなりの覚悟が必要で、そのためにつましく生きるのは何ほどのこともない。フランス人はケチなどとからかいを受けながらも、かれらはランチエやルトレテになるための決断力と生活の技術を身につけていたのだった。