「魅せられて」

エリザベス二世が、九月八日スコットランド、バルモラル城で崩御され、十九日ウィンザー城内の聖ジョージ礼拝堂に埋葬された。

一九五二年二月六日の就位から二0二二年九月八日までの在位七十年を辿ってみたいと思っていたところ、誌名は忘れたがある週刊誌にフィクションのおすすめとして「クィーン」「エリザベス 女王陛下の微笑み」「ザ・クラウン」「ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出」が挙げられていて、さっそくNetflixのシリーズ「ザ・クラウン」の視聴に及んだ。

ネットには多くの方がこのドラマに寄せて「見るならいま」「彼女がイギリス国民に捧げた生涯を少しでも知りたくて見始めました」「崩御を機に本格的に視聴開始」といったコメントを投稿している。それも王室内部の出来事をドラマ化できる環境があってのこと。たとえば就位前のエリザベスに夫のフィリップ・マウントバッテンが「ぼくはきみの傍で笑顔を振りまくのが仕事じゃない」と語る。こんな赤裸々なやりとりがほんとにあったかどうかは知らないけれど、劇化できるのは貴重で、日本の皇太子妃殿下が「わたしはあなたの傍で笑顔を振りまくのが仕事じゃないわ」と口にするドラマはよくもわるくも考えられない。ついでながら「ザ・クラウン」は年齢制限+16、理由は暴力、性描写、言葉づかいとあり、このような皇室ドラマはわが国では不可能というほかない。

それはともかく劇中、エリザベスの妹マーガレットがBewitched(魅せられて)の略称で知られる曲をピアノの弾き語りで歌うのに付いて、最晩年のジョージ六世も歌っているシーンがある。フィクション、ノンフィクションを問わず、またイギリス王室に限らずロイヤルファミリーがジャズのスタンダードナンバーを歌っている場面はわたしの記憶にはない。しかも王女が歌うBewitchedは、当時の彼女の状況を考えるとけっこう意味深な選曲である。

マーガレット王女はこのとき二十二か三、ジョージ六世の侍従武官で「空の英雄」と呼ばれたピーター・タウンゼントと恋仲になっていたから、弾き語りしながら王女は十六歳年上の妻ある男(のち離婚)を思いながら歌っていたと誰しも想像するだろう。そして父のジョージ六世は第二王女と自身の侍従武官の、昔ふうにいえば不義密通を、まったく知らないままのんきにラヴソングを歌っていたのだった。

ふたりの関係がマスメディアに暴露されたきっかけはエリザベス女王戴冠式での仲むつましい姿で、政府首脳と王族たちはすぐさま、ジョージ六世の兄のエドワード八世が、離婚歴のある平民のアメリカ人女性ウォリス・シンプソンと結婚するためわずか三百二十五日で退位した、その二の舞を演じさせまいと厳しい姿勢をとった。

王女があえて離婚歴のある十六歳年上の大佐と結婚するならば王位継承権も王族としての年金受給権も剥奪すると告げ、英国国教会も結婚を認めないと決定した。エリザベス女王は妹の結婚に同情的だったが、その力をもってしても王女と大佐は別れざるをえなかった。ただしこの話はここでのテーマではないから話題をBewitchedに戻そう。

このナンバーの正式の曲名はBewitched,Bothered,And Bewildered(魅せられ、悩まされ、戸惑っている)。

作曲はたくさんのスタンダードナンバーを残したリチャード・ロジャース、作詞はロジャースと組んで数々の名品を書いたローレンツ・ハート、初演は一九四一年にミュージカル「パル・ジョーイ」で歌われた。これが一九五七年に映画化され、日本では翌年「夜の豹」なる題名で封切られたのは、邦題をめぐる不可解な話である。

フランク・シナトラキム・ノヴァクリタ・ヘイワースなどの出演する映画はお気楽に楽しめる。しかし、マーガレット王女はお気楽どころではなく「魅せられ、悩まされ、戸惑っている」。曲名は彼女の心の内をそのままに表現しているようだ。そして恋の切ない気持を歌ったバラードはこんなふうに結ばれる。

 

I’ll sing to him 

 each spring to him

And long for the day when I’ll cling to him.

Bewitched,

 bothered and bewildered-am I

彼のために歌うわ

春がやって来るたびに

そして彼に抱きつく日を待ち続けるの

魅せられ、悩まされ、戸惑っている、わたし

 

現実は「彼に抱きつく日」は王女にめぐって来なかった。

わたしのいちばんのお気に入りはエラ・フィッツジェラルド、名唱です。