新コロ漫筆〜酒と煙草

作家の平野啓一郎氏が、世界的に人が酒を飲まなくなってきており、長期的には酒に頼らない経営も考える時期に差し掛かってるんだろうなぁ、コロナで付き合いがなくなったのを機に酒を止めた人もいる、とツイートされていた。

人類の酒量が落ちてきているというのは統計上の根拠があるのだろうか。そういえば日本でもお酒を飲まない若い人たちが増えてきているというニュースがあったような気がする。世の中も人生もいろいろで、わたしはコロナ禍でますますお酒が好きになった。

一日おきに晩酌していてなんの痛痒もなかったのが、コロナ禍が長引くなか晩酌のない日の夕暮が淋しくなった。酒量が増えているのではないが、生活に占める酒食の比重は高くなったと感じる。精神的にはアルコール依存症だろう。しかし心身ともに依存症になっては困るから毎日飲むのは避けている。

ありがたいことにノンアルコールビールというものがあると知り、夕暮の淋しさの度合はだいぶん軽減された。家でのビールは500ml缶だがノンアルコールは350mlにしており、もう少し飲みたいときは少しばかり蜂蜜を垂らした炭酸水を飲み足していて、こちらにも感謝しなくてはいけない。これからはビールのほかにもノンアルコール系に注目しよう。

そんなわたしかだから、コロナで付き合いがなくなったのを機に酒を止めたなんてもったいないな、と思う。酒を人間関係の潤滑油にしている方はそうなるのだろうか。

わたしは家族、親しい方々と飲むのは好きだが、宴会は嫌い、それにひとりで飲むのも好きなのでコロナがあろうがなかろうが酒は嫌いになりようがない。ときに二日酔はあるが、やけ酒とは無縁だからお酒はもっぱらよい気分にしてくれるとして過言にはならないだろう。

お酒に効用があれば煙草にもある。

寺田寅彦が「喫煙四十年」でそれを説いている。

「煙草の効能の一つは憂苦を忘れさせ癇癪の虫を殺すにあるであろうが、それには巻き煙草よりやはり煙管の方がよい」。そのココロとして寅彦は親しかった老人の例を挙げ、その老人は、機嫌が悪いときは煙管の雁首で灰吹を殴りつけたり、煙管の吸口をガリガリ噛んだりした、そのためついぞ家族を殴打したこともなく、また他の器物を打毀すこともなく温厚篤実な有徳の紳士として生涯を終わったようである、という。寅彦自身は、興味のない何々会議といった物々しい席上で憂鬱になったとき、煙草のありがたさをつくづく感じると述べている。

嫌煙権という言葉もなかった時代はさておいても、寺田寅彦は煙草にずいぶんおおらかな人だった。胃をわずらって医者から煙草は止めた方がいいと云われたときは「煙草も吸わないで生きていたってつまらないから止さない」と口にしている。すると医者は「乱暴なことを云う男だ」と笑ったそうである。煙草の好き嫌いとは別に、こういうのんびりした話は好きだ。

聞くところによると嫌煙の次は酒が狙われているとか。酒にも健康原理主義が押し寄せてくるのだろうか。ならばここは寅彦に倣って「酒も飲まないで生きていたってつまらないから止さない」といっておかなければならない。