「殺人鬼から逃げる夜」

第二次世界大戦前夜のヨーロッパの某国、ある青年が公園でひと休みしてカメラを持ち帰りDPEへ出したところ、フィルムには撮ったおぼえのない軍事関係の写真があり、写真屋は警察に申し出て、他人のカメラとまちがえてしまった青年はスパイの嫌疑がかけられます……エリック・アンブラー『あるスパイへの墓碑銘』はわたしをミステリーの世界に誘った、いわば一丁目一番地の作品で、これにより巻き込まれ型のスリラーとなると目がなくなってしまったわたしの前に今回現れたのが、目はしっかりしているけれど耳の聴こえない主人公が連続殺人鬼に追い回される恐怖の夜を描いたこの作品でした。

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心ならずも事件に巻き込まれてしまった人は、まずは逃げようと試みますが、状況は好転せず、けっきょくは自身が解決を図らなければ難局は切り抜けられません。こうして巻き込まれ型スリラーには冒険という要素が加わります。

ふつうの市民が犯罪のプロと闘う羽目に陥ってしまうこの種の物語の要諦は逃亡と冒険のハードルの設け方と超え方の工夫にあります。この映画では、聴覚障害者としておなじ障害のある人々にコールセンターで対応に当たっているギョンミ(チン・ギジュ)が会社からの帰途、重傷を負った若い女性と犯人の男(ウィ・ハジュン、この映画の直後にみたNetflixイカゲーム」に刑事役で出てました)を目撃してしまったために、みずからが男から狙われる身となってしまいます。サイコパスのターゲットとされ、逃げることも叶わず、やむなく対峙せざるをえなくなるのですからハードルの高さは並大抵ではありません。意思疎通は困難を極め、助けを呼ぶ声は届かない、後ろから殺人鬼が近づいて来ても聞こえない、こうしたなかここには書けませんが、工夫を凝らしたハードルの超え方も「おっ!」というものでした。

この映画が初作品となる一九八一年生まれのクォン・オスン監督はひたすら面白さを追求し、完全オリジナルのアイデアと熱い心意気でB級感漂う低予算作品の傑作を作り上げました。

三年ほどまえ上田慎一郎脚本・監督作品「カメラを止めるな!」を取り上げた際、わたしはこのブログに「金がないなら知恵を出せ、などと野暮をいう高慢横柄は困ったものだが、金がないのでよい映画が撮れないなどと口にする人はもっといやだ。『カメラを止めるな!』はそんな議論を軽やかに吹き飛ばす超低予算のオモシロ映画、創意工夫と爽やかで熱い心意気がいっぱい詰まった快作だ」と書きました。(https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20180810/1533862077

これはそのまま「殺人鬼から逃げる夜」に通じています。

(十月七日 TOHOシネマズシャンテ)