「読み飛ばし」についての考察

八月六日、菅義偉首相は広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式でのあいさつで 広島市を「ひろまし」、原爆を「げんぱつ」といいまちがえたうえに「読み飛ばし」であいさつの一部を意味不明にしてしまった。

同日夜、わたしは犯罪組織を検挙するためフライドチキン屋に扮した麻薬捜査班の奮闘を描いた韓流アクション・コメディ「エクストリーム・ジョブ」を楽しく見ていて、ちょいとひと休みとニュースをチェックしたところで出来事を知った。失礼ではあったが式典の意義は承知しながらも映画以上に笑ってしまった。というのも呆れてしまい、咎めだてする気力はなく、そこへ笑いが到来したのである。

元公立高校の校長の某氏が、学校行事はいろいろあってもいちばん緊張するのは入学式と卒業式の式辞で、絶対にまちがいがあってはならぬからこのときは折り畳み式辞用紙に、自分なりに練った文案を心して書く、その過程があるからつつがなく終えたときは心底ほっとすると語っていた。入学式や卒業式の式辞で校長がいいまちがいを重ね、読み飛ばしなどしたら生徒、保護者はがっかりするだろう。

式典でのいいまちがいや読み飛ばしはときに人の心を逆撫でし、傷つけもする。過ちは起こりうると自覚し、それを防ぐために細心の心配りが求められる。あいさつや式辞を軽んじてはいけない。

 

この読み飛ばしについて、政府関係者は原稿を貼り合わせる際に使ったのりが予定外の場所に付着し、めくれない状態になっていたためで、「完全に事務方のミスだ」と釈明した。原稿は複数枚の紙をつなぎ合わせ、蛇腹状にしていた。つなぎ目にはのりを使用しており、蛇腹にして持ち運ぶ際に一部がくっついたとみられ、めくることができない状態になっていたという。首相を擁護したつもりだろうが、事前に目を通していなかったことを窺わせる話でもある。

役所勤めだったころ、わたしもあいさつ文をつくったことがある。文を起案し、決済を得て、蛇腹状のかたちで完成させる。B5判もしくはA4判用紙を横置き、縦書きとして一枚あたりの行数を決め、印刷機にかける。 行間を定規に沿って千枚通しの先を軽くあてて折目をつけ、端を調整してのりしろとし、次にくる紙の端とのりづけしてつないでゆく。つなぎ目で少しでもずれると斜めになって不恰好になる。自分が読むのであれば目をつむるが、読むのはエライさんだからずいぶん気を遣った。およそ三十年前の話で、どんくさい、日本のわたしは大変難渋した。

菅首相のあいさつ文もわたしが体験したやり方でつくられていたようだが、それにしてもえらく古いやり方を踏襲している。いまは蛇腹状つまり折り畳みの式辞用紙に直接印字できるようになっていて、わたしがそれを知ったのは二十年ほど前だった。折り畳みの用紙を手にして読むのだが、エライさんではないから自分でつくらなければならない。ワープロ、パソコン、印刷機の性能はずいぶん向上したから、糊で貼り合わせるなんてやり方ではなく、より合理的な方法があるはずだと情報を集めているうちに新しい方法を知った。これだとのりを使わないから今回の菅首相の事件は起こりようがなかった。ただわたしは首相のあいさつ文はつなぎ目がのりで開かなかったのではなく担当の職員が一枚飛ばしてのり付けしていた超怠慢の可能性も捨て切れていない。

しばしばIT関連での政府の整備の遅れが指摘されるが、それどころではなく、式辞の読み飛ばしからは国の旧態依然の仕事ぶりが見えてくる。

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以下余談ながら、ワープロ以前だと職場の能書家が折り畳み用紙に直接書いていたから字の上手な人は貴重だった。

役所勤めだったころ、スポーツ関係で書道を習っている方がいた。競技終了後すぐ表彰状に名前や順位を書かなければならないとなると下手な字は書けない。いまはパソコンで対応できているだろう。

(写真はマルアイオンラインより)