「返校 言葉の消えた日」

二0一七年に発売され台湾で大ヒットしたホラーゲーム「返校」を実写映画化した作品だそうですが、わたしはその種のゲームとはまったく無縁ですので、とりあえずリアリズムで物語を整理してみます。

国民党独裁のもと、戒厳令が敷かれ、白色テロが横行していた一九六二年。翠華高校では秘密の読書クラブがあり、禁書とされた作品が書写され、読まれていました。

ある日、女子生徒のファンは、ひそかに彼女を慕う男子生徒ウェイと校舎内でぶつかり、彼の鞄から飛び出た本でクラブのことを知ります。

彼女はチャンという若い男の先生を慕っていて、まもなく読書クラブを指導しているイン先生もチャン先生に恋をしている、つまり恋敵であるのを知り、密告に及びます。ところがチャン先生もクラブのメンバーで、イン先生とともに処刑されてしまいます。

混乱のなかファンはウェイに手を引かれ、学校から逃れようとしますが良心の呵責に耐えかねた彼女は自ら命を断ちます。

そして現代、チャン先生の「生きてさえいれば希望はある」という言葉を抱いて生きてきたウェイは、読書クラブの唯一の生き証人としてかつての活動を語ります。そして彼は取り壊されることになった校舎を訪れ、禁書となっていた日本の評論家が書いた一冊の本を探し出します。厨川白村『苦悶的象徴』(原題『苦悶の象徴』)、翻訳者は魯迅でした。

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このリアリズムの物語がダークに彩られたSFやホラーの手法を用いて描かれます。「華氏451度」や学校の怪談の台湾的展開といったところでしょうか。映像には当時の学校生活が、またとりわけホラーの箇所には当時の高校生や先生方の心模様が投影されていると思いました。

独裁と戒厳令白色テロの時代を描いた「悲情城市」(一九八九年、戒厳令が解除されたのは一九八七年)が切り拓いた地平で、いまあの時代が斬新な手法で映画となっている!侯孝賢監督の傑作をリアルタイムで観たわたしはそれだけで感慨にひたるとともに、現在の台湾の文学、芸術の多様性を感じたことでした。

SFやホラーにはなじみのないわたしが「返校」をスルーしなかったのはひたすら「悲情城市」との関連からでした。SFやホラーで描かれていたのはよい意味での驚きで、これからもテーマの広がりと多彩な描写手法が発展するよう願ってやみません。

またもうひとつの驚きは、校舎が取り壊されるにあたりウェイ氏が探し出した禁書の一冊が魯迅訳の厨川白村『苦悶的象徴』だったことです。魯迅の著作ではなく、どうして白村(1880-1923)の訳書だったのでしょうか。

一九六0年代の台湾の文化運動のなかで厨川白村が高く評価されていたことをこの映画を通じてはじめて知りました。(工藤貴正「台湾新文学運動と厨川白村」参照)

それにしてもジョン・スー監督が校舎の隠れた部分にこの一冊をおいたのはなぜだったのでしょう。

魯迅は国民党政権から弾圧を受け、中華人民共和国では聖人扱いされている文学者です。けれどその作家としての生き方は、生き延びてあれば毛沢東に殺されていただろうとの議論があります。仮定の話ですがわたしは十分ありえたことだと思います。そうした作家が訳した日本の評論家の本なのです。

六十年代の文化運動に日本では忘れられていた文芸評論家厨川白村の影響があり、いま日本のポップカルチャーの刺激を含んだ映画「返校」にそのことが微かに語られ、そして魯迅がいる。わたしの驚きの中身を簡単にいえばこんなふうになります。

(八月五日TOHOシネマズシャンテ)