新コロ漫筆~もう一度、勇気、希望、絆

東京オリンピックパラリンピック開催の意義について菅首相は「世界最大の平和の祭典であり、国民に勇気と希望を与える」、丸川珠代オリンピックパラリンピック担当大臣は「コロナ禍で分断された人々の間に絆を取り戻す大きな意義がある」と語った。

オリパラに勇気、希望、絆を求めるのはよい。でもその前にわたしは政治家の職務について考える。国民を勇気づけ、希望を掲げ、絆を取り戻すのはほかならぬ政治家の仕事ではないのか、と。

望みはしないけれど、もしも戦争になったとき首相は国民を勇気づけ、希望を掲げ、しっかりした絆で結ぶ努力をしなければならない。大臣たちはそのあとに続き、補佐しなければならない。戦時に限らず危機対応においてこの課題は重要である。

新型コロナウイルスとの戦いを戦争と認識する首脳たちがいる。

イギリスのジョンソン首相は新型コロナ感染症対策を「戦争だ」といった。

フランスのマクロン大統領は「我々は戦争状態にある」と訴えた。

ドイツのメルケル首相は戦争という言葉こそ用いていないが「ドイツ統一以来、いや、第二次世界大戦以来、わが国の命運がこれほど、われわれの団結にかかっている事態になったことはない」と語った。

さほどまじめに闘っているとみえなかったがトランプ前大統領も「コロナとの戦争に勝つ」といっていた。

五月二十四日に開幕した世界保健機関(WHO)年次総会ではグテーレス国連事務総長が、世界は新型コロナウイルス感染症との「戦争状態にある」と述べ、コロナ対策に必要な「武器」の不公平な分配に対し、戦時の論理をもって対処するよう呼び掛けた。

いまが戦争もしくは戦争に例えられる状態にあるとすれば、首相、五輪担当大臣は勇気、希望、絆をオリンピックパラリンピックやアスリートたちに託する前に自らが 感染症対策を通じて国民に示さなければならない。そう、勇気、希望、絆はあなた方の仕事である。それらはアスリートたちの前にまずはあなた方に求められるべきである。

ドラバタ感は否めないながらいまワクチン接種にようやく希望の光が見えてきた。勇気や絆はどうだろう。不屈の精神で感染症対策にあたっていれば、国民は勇気、希望、絆を感じるはずだ。嫌々やってちゃダメ。利権など論外である。仮定の話にはお答えできないにあぐらをかいていては先は読めず、先手の対策は望むべくもない。

ついでながら、勇気をしぼませるというか、萎えさせる残念な政治家がいるね。東京オリンピックパラリンピック競技大会組織委員会前会長の森喜朗氏は、氏が日本ラグビーフットボール協会会長だったとき、ジャパンとのテストマッチで来日し、対戦を前に表敬訪問したオーストラリア代表ワラビーズにいった「私たちは百年やってもあなた方に勝てない」。

いくら対戦相手を讃えるにしても、これはないだろう。スポーツ界で要職を重ねてこられたお人で、スポーツに政治を絡めるのは得意だったかもしれないが、本質的にスポーツには不向きだったと思う。