「鵞鳥湖の夜」

若いころから身近の大事やむつかしい話には関わりたくない、できるだけ避けたい、というよりも逃げてしまいたい気持の強い人間でした。そのうえこれじゃいけない、現実逃避から抜け出さなければなんて思ってもみませんでした。できれば仕事からも早く逃れたかったのですが才覚も、バックグラウンドとしてなくてはならないマネーも乏しく、果たせないまま定年まで勤めました。だからでしょう逃亡する人間を描いた映画や小説は大好きで、「鵞鳥湖の夜」はそうしたわたしの心のありようにぴたりとはまりました。

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二0一二年、中国南部。経済発展や再開発から取り残された鵞鳥湖周辺の地区で、刑務所から出てまもなく犯罪グループのシマ争いに巻き込まれ、誤って警官を射殺して全国に指名手配され、警察また対立組織からも追われる身となったチョウ(フー・ゴー)という男の物語です。

ノワールのたたずまいと逃亡という似合いの組み合わせにシブミをもたらしているのが魅力的な映像で、荒廃したビルディング、安っぽいネオン、篠突く雨、傘、ライトの付いた靴を履いた集団のダンス、湖上のボートなどディアオ・イーナン監督の惜しみなく繰り出す画面は見応え充分、才気とひらめきを感じさせてくれました。

逃げ切れないと知るチョウは自身にかけられた報奨金三十万元を妻子に残そうと画策します。そうして彼のところに、 鵞鳥湖の水辺で春をひさぐ「水浴嬢」のアイアイ(グイ・ルンメイ)という女が警察の監視下にあって動けない妻の代理だといってやって来ます。

「水浴嬢」と全国指名手配の男の逃亡物語は「俺たちに明日はない」を追走しているようですが、そこには妻の存在と報奨金三十万元の行方が絡んでいますので過去の名作で割り切れる話ではありません。物語の進行とともにひねりを利かせた逃亡譚の着地への関心は高まるばかりでした。

(九月二十九日ヒューマントラストシネマ有楽町)