武漢の医師の死

中国が新型肺炎を公表するまえからメッセージアプリ「微信ウィーチャット)」を通じて危険性を訴えていたのに「デマ」として公安当局に処分された武漢市中心医院の眼科医師李文亮さんがみずからも新型コロナウイルスに罹り二月七日未明に亡くなったという。三十四歳だった。こういう医師がいて処分されていたことを訃報記事ではじめて知った。やりきれなく、またショックだった。

武漢市で原因不明のウイルス性肺炎の患者がみつかったのが昨年の十二月十二日、年が明けて新型コロナウイルスの検出を中国のメディアが報道したのは一月九日、ようやく中国政府が人から人への感染拡大を認め、習近平国家主席が押さえ込み指示の談話を公表したのは一月二十日だった。

このかん李医師は十二月三十日に警告を発し、一月三日に「デマ」を流したとして処分を受けた。こんなことをしている間に当局がかれの警告を真摯に検討し、なんらかの対応をとりはじめていたら、といまさらながら悔やまれてならない。

新型コロナウイルスには、自分たちの進める金儲け政策が、公正で開かれた社会とはなんら関係しないという中国共産党の高級幹部の体質に発症した病が付随している。

多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない、とはカエサルの名言だが、李医師の訴えを「デマ」とした面々はその典型である。かれら幹部たちの多くの頭にあるのは党中央のご意向ばかりで国民の意見や警告には見向きもしない、都合の悪いことは封じ込めて弾圧するといった中国共産党の積年の体質に発症した病と新型コロナウイルスはオモテウラの関係にある、あるいは新型肺炎中共という病が並行している、と李文亮医師の死におもう。もちろん良心的な幹部も多くいるはずだ、しかし実態として示されているのは隠蔽と弾圧であり、その政治と感染拡大とは無縁ではない。

昨二0一九年は天安門事件三十年の年にあたる。この事件が胡耀邦趙紫陽のめざした政治の民主化と近代化の芽を踏み潰したことをおもえば新型肺炎への初期対応における決定的なあやまちは一九八九年に胚胎するとして過言でない。

ここまで書いてネットで関連記事を追っていると、中国では李医師の死去に関する投稿やコメントがメッセージアプリ上から消去されている、報道関係者らに対して李医師の死亡を大々的に報じないよう求めた「報道指示」とされる通知のスクリーンショットが投稿された、有害な情報を厳重に抑え込み、救援活動の成果を示す「明るい話題」に注力するよう要請があったという記事があった。真偽は不明としてもこれまでの経緯からみて嘘だとは断定しにくい。事実とすればまことに懲りない面々である。