「マイ・フーリッシュ・ハート」~チェット・ベイカーの最期

チェット・ベイカー・シングス」、わたしの男性ジャズボーカルのワン・オブ・ザ・ベストのディスクだ。端正で、ちょっと中性的というか妖しい雰囲気を漂わせたジャケットを含めて。

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一九五0年代にトランペット奏者、そしてボーカリストとしてジャズシーンを席巻したチェット・ベイカーが五十八歳で亡くなったのは一九八八年だった。五月十三日午前三時、ホテルの何階かから墜落したというニュースにおどろいた。おどろきといえば、存命中に見た晩年の写真は「シングス」のころとはずいぶん変貌していた。五十代とは思えない、顔全体に異様なほど深く刻まれたシワ、その変わりように、人生の辛苦だけではなくクスリも混じっているのでは、と想像した。

これまでの経験が深浅はともかく心身に刻印されているという意味でわたしは老残をマイナスとばかりには考えていない、いや、それどころかけっこうプラスにイメージしているとしたうえでいうのだけれど、五十八歳という中年のチェットの老残ぶりは不思議であり謎めいていた。いっぽうで音楽シーンでは積極的な活動をおこなっていて、振り返ると最後の輝きを放っていたのだった。

いったい「シングス」から五十八歳にかけて何があったのか?

かねてよりその軌跡を知りたいと思っていた。おなじ関心をもつ人は多くいるのだろう、亡くなった翌年一九八九年には写真家ブルース・ウェーバーによるドキュメンタリー映画「レッツ・ゲット・ロスト」が、また二0一五年にはイーサン・ホークがチェットを演じた伝記映画「ブルーに生まれついて」(ロバート・バドロー監督)が公開されている。

前者は未見だが、後者はクスリに手を出して音楽シーンから消えたチェットが苦しみながら恋人とともに再起を図り、ひとたびは立ち直るもののまたもや手を伸ばして彼女を失うという、再起とふたたびの転落を描いていた。そして今回の「マイ・フーリッシュ・ハート」はホテルから墜落した最期に焦点があてられている。

「シングス」から「老残」の軌跡の解明はひとつには残された記録、資料を基にしたオーソドックスな方法がある。だが、それだけでチェットの心の深層があきらかになるとは思われず、とすればもうひとつフィクションで解いていくやり方も考えられなければならない。「マイ・フーリッシュ・ハート」はその貴重な試みだ。

チェット・ベイカーを演じたのはロックバンドでボーカルとしても活躍するスティーブ・ウォール、監督は本作が長編デビューとなるロルフ・バン・アイク。

宿泊先のホテルから転落したチェットはうつ伏せの状態で頭部から血を流していた。捜査を担当したのは遺体を確認した刑事ルーカスだ。

ホテルの部屋には誰もおらず、殺風景なその部屋の机にはドラッグ用の注射器などが散乱し、床にはトランペットが転がっていた。捜査を開始したルーカスは、前夜に出演する予定だったライブ会場に姿を見せなかったチェットの身に何が起こったのかを調べ始め、クスリ、借金、裏社会とのかかわりといった事情を探り、チェッの傷ついた心に触れようとする。そうしながら彼は自身の家庭生活における苦悩と通じるものをチェットに感じてゆく。

チェットの死の風景と、その真相を追う刑事とが繋がる。クスリまみれのミュージシャンと取り締まる側の刑事との心象風景が重なる。ここのところにチェットの音楽の秘密や魅力が潜んでいるのかもしれない。

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(二0一九年十一月十三日新宿武蔵野館