カルロス・ゴーンの逃亡

年始のNHKラジオのニュースで、カルロス・ゴーンレバノンへの入国について、同国の著名なジャーナリストが、カネと力とコネをもつ特別な人に政府が特別な措置を与えているのは政治への信頼を揺るがせ、人心にも悪影響をもたらす、と訴えていると報じていた。

これを聞いてすぐさまわたしは、年末に読んだ黒川創の短篇小説「波」(『いつか、この世界で起こっていたこと』所収)にあったつぎの一節を対照させていた。

「ぼくの正直な気持ちを言うと、よその社会のことを見下して、それで自分のプライドを保ったつもりになるのは、愚かなことだと思う。それよりも、むしろ、自分たちの社会のおかしなところをまっすぐに見て、これを自分たち自身で正していけるということが、ささやかな誇りになっていかないと」。

レバノンのジャーナリストが書いた勇気ある記事に照らすとレバノン政府が批判されるのはもっともだ。しかしレバノン政府に比較してわが国は法治国家として優位にあるとは思われず、それよりもわたしにはカルロス・ゴーンの逃亡は自分たちの社会のおかしなところを直視し、正してゆく契機を持つ出来事だった。

公文書改竄に関わった役人は起訴もされず国税庁長官に栄転した。準強姦容疑で逮捕状が発布されたジャーナリストは成田空港で執行される直前に警視庁刑事部長の判断で逮捕を免れ、その部長は警察庁次長に出世した、といった事案は「カネと力とコネをもつ特別な人に政府が特別な措置を与えている」のと五十歩百歩と考えるほかない。

森まさこ法務大臣は「ゴーン被告は主張すべきことがあるのであれば、日本の公正な刑事司法手続の中で主張を尽くし、公正な裁判所の判断を仰ぐことを強く望む」と述べた。この発言は逮捕を免れたジャーナリストにも適用されてこそまっとうな法治国家であるにもかかわらず裁判所の厳格な手続きをないがしろにして、警視庁幹部の鶴の一声で逮捕が中止になったのは裏に何かがあると疑わせるに足る。

あるSNSの投稿に、政治とカネをめぐりたびたび国民の疑惑をまねいてきた甘利明氏が、ゴーン氏逃亡について「日本は立派な法治国家ですから」とコメントしていたとあった。甘利氏にあっては「立派な法治国家」というより「住みよい法治国家」なのではないかな。