「悲しい町」の現実(2015オランダ、ベルギーそしてパリ 其ノ二十八)

「雨は秋の終りに頻繁におとずれる霧雨で、垂直に落ちてくる細かな雨はさめざめと泣き、水玉を織りなし、大気を仮縫いし、平らな運河を針でおおい、そして人の魂をとらえ、おののかせる」「それにブリュージュはまた、午後の終りにはなんと悲しい町となることか!彼はそうしたブリュージュが好きだった!」

『死都ブリュージュ』を読んでいるといつしか作者ローデンバックの眼鏡を借りてこの町を眺めるようになる。そしてこの町を訪れて人通りの少ない石畳の通りを見て「悲しい町」に哀惜の感を覚える。文学鑑賞としてはよいだろうが町の現実となると別の話だ。

ブリュージュはなかなか活気のある町だ。観光地として賑わっていて、若者は多く、朝、散歩するとどこからこれほど学齢期の児童生徒がやって来るのだろうと思ったほどだ。旧市街へのバスの乗入れは禁止されているが、ヴェネツィアと異なり道幅は広いから車は多い。マイカーは観光としてはマイナスだが、生活の場所として観光客は甘受するほかない。

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