「あなたの名前を呼べたなら」

ネタバレご注意ください。

階級を超えた愛と聞くとひどく古めかしく聞こえるけれど、インドでは農村部を中心にカーストの意識は根強く残っており、社会的身分を超えた恋愛はいまなおご法度なのだと認識を新たにした。

高層ビルが林立するムンバイに、貧しい農村からメイドとして働く女性がやって来る。勤め先はこの都市で建築会社を営む富裕層宅だ。さすがIT先進国インドらしく彼女もしっかりスマートフォンは提げている。情報技術は発達しても社会構造はなかなか変わらないというわけだが、でも、この映画ではカーストという強固な壁を突き崩そうとする愛のかたちが描かれる。インド社会の変化の予兆と愛のあり方を模索する気運を感じました。

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 アシュビン(ビベーク・ゴーンバル)はアメリカ生活の経験もある建築士で、建築会社の御曹司。結婚式直前に相手の浮気が発覚し、婚約を解消した。

ラトナ(ティロタナ・ショーム)は新婚家庭に住み込みのメイドとして雇われたのだったが、破談によりアシュビンひとりに仕える身となった。高級マンションでの傷心の「旦那様」(映画の原題はSir)と彼を気遣いながら身の回りの世話をするメイドとのふたりの生活がはじまった。ときに話をするうちに「旦那様」はメイドがデザイナーを志望していると知り、彼女が裁縫学校へ通うのを許し、やがてミシンをプレゼントする。

アシュビンは「旦那様」とメイドの関係から先へ進もうとしている。しかし貧しい農村で生まれ育ったラトナはそうはできない。しかも彼女は親の定めた結婚をしたが夫の病死により十九歳で未亡人となっていて、一生再婚は許されないという悪弊のなかにある。妹の結婚式での記念写真を撮るシーン、ラトナは参列者の席から外れなければならなかった。未亡人は婚礼の写真にいてはならないとする社会の現実がある。こうして、身分差の現実と因習を知るラトナはアシュビンの「暴走」を諌める。その心根が切ない。

静かに、繊細に、それでいて身分差や因習のコンクリート状態がもたらす緊張感のなかで語られる恋の物語は、最後でスマホにかかってきた電話にラトナが「アシュビン」と応じて仄かな光を放つ。

たとえ惹かれあっていても「旦那様」の名前を口にするのはありえないとの意見が現実のインドでは多数を占めるかもしれない。仮にそうであっても、この作品の根っこにある人生の肯定感は否定できないだろう。それは現在のインドから発した普遍性であり、世界の多くの人々の願い、希望と響きあっている。

本作はムンバイ出身の女性監督で、助監督や脚本家としてヨーロッパでも活躍するロヘナ・ゲラの長編デビュー作。今後注目の映画作家としてリストアップしておかなければならない。

(八月十日Bunkamuraル・シネマ)