複雑面妖

日本の、いや世界の映画史上最高のアクション場面はと問われたなら、わたしは「七人の侍」の豪雨のなかでの乱闘をあげる。のちに「裸の大将」や「黒い画集・あるサラリーマンの証言」など数多くの映画、テレビ番組で監督、演出を務めた堀川弘通はこのとき助監督として黒澤を補佐していた。その堀川の『評伝 黒澤明』に雨中の乱闘シーンをめぐる回想がある。

堀川はここで死者がでないかと心配でならなかった。ふつうの状態の馬でも乗りこなせる俳優はすくないのに、豪雨、泥濘で馬は興奮しているから振り落とされたり蹴られたりして一歩まちがえると命にかかわる、なんとかしなければと訴えても黒澤はとりあわない。そうするうちに激論となり、堀川がやむなく「死人が出てもいいんですか?」と口にすると黒澤は「ああ、しかたないね。必ず死ぬとは限らないんだから」と応じたのだった。

 あるとき黒澤は木下恵介監督と自分とを比較して「木下君はセンチメンタルな作品を作るが、根は強固なリアリストなんだよ。俺は彼に較べてリアリストのように思われているが、本当は弱虫のセンチメンタリストなんだ」と語ったそうだ。

 日常生活では子犬が死んで嘆き悲しむ「弱虫のセンチメンタリスト」と、こと映画となると「作品を創造するためには、死者が出てもしかたがない」という黒澤の二つの面を描いて、堀川は「人間とは、まことに複雑面妖なものだと思う」と述懐している。

 

 大佛次郎は晩年の随筆集『都そだち』のあとがきに「素直にものを受取ることと、いつも明るい心を失なうまいと知らずにつとめている性格である。心弱くヒューマンであったのを、今は私は誇りとしている。他人の言分を侵したり、人より偉がったりする泥臭さはなかった」と書いた。

 港が見える丘公園に建つ大佛次郎記念館所蔵の、家族や周囲の人々への思いやりと遺作『天皇の世紀』執筆断念の無念をしるした書簡からもこのあとがきにある人物像が見えてくる。

 ところが志多三郎『街の古本屋入門』には、古本屋を困らせる代金未収の実例におなじ作家が登場していて「ドレフェス事件に取材した高名な作家が、電車の中で会った折り、催促されてもいささかも動じなかった」とある。

 具体名は避けているけれど、この「高名な作家」は「心弱くヒューマン」な作家とおなじ人にほかならない。複雑面妖のいまひとつの例である。