2018イタリア旅行(その二)

イタリア北部を中心とする旅は今回が二度目、なかではじめて訪れたのがボローニャだ。中世の塔が多く遺るここは学問、経済活動の盛んな都市として知られる。

ここにはずいぶん長い距離の柱廊(ポルティコ)がある。雨の日にはすこぶる便利で、総延長距離は42キロに及ぶ。もともとは、ヨーロッパ各地からボローニャ大学に集まってくる学生を収容しなければならないところに発している。

というのもボローニャ旧市街は南北2キロ、東西2・3キロしかなく、ここに大学生を住まわせなければならない。そのため二階から上が増築され、増築部分を2、3メートル道路へ突き出し、頑丈な木の柱で支えると、通行人には屋根と柱のついた歩道となる。これがいま42キロに及んでいるわけだ。

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井上ひさしボローニャ紀行』を参照して、ボローニャ大学に学んだ人々をあげてみよう。

ダンテが二十二歳でボローニャに学んだのが一二八七年。ペトラルカ、エラスムスコペルニクス、一気に現代に跳ぶと入学はしなかったがサッカーの中田英寿選手は「入学許可」を得ていた。また『薔薇の名前』のウンベルト・エーコはこの大学に「非西洋人(アフリカ人・中国人学者)の観点から見る西洋の人類学」といういっぷう変わった課程を創設した。

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ボローニャにはかつて百八十もの塔が林立していたがいま残っているのは十五の塔。そのうちアッシネリ家の塔とガリゼンダの塔の二つは斜塔で、それも町の中心のポルタ・ラヴェニャーナ広場で堂々たる存在感を示していて、斜塔はピサだけではないぞ、わがボローニャの斜塔もあるぞ、とのたまっているようである。

ガリゼンダの塔は建設中に3.2メートルも傾いてしまったというからとんでもないものだが、それがいまは観光名所となっているから世の中いろいろである。

そしてボローニャからピサへ。なんだか斜塔を追っかけているみたい。

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ボローニャからピサへ。大聖堂、鐘楼、洗礼堂が三幅対で並ぶ。いずれも十一世紀から十三世紀にかけて建設されている。「ピサの斜塔」として知られるのが鐘楼で、基盤の土質がきわめて不均質だったため十二世紀の建設中から傾いていたという。

ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)はこの地の出身で、写真右の洗礼堂で受洗した。

なお彼が受けた異端審問の弾圧について、一九九二年ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世はあやまちだったと認め、ガリレオに謝罪した。そして詫びの公式声明は塔の頂上から発せられた。

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フィレンツェの旧市街に入るのに先立ち、小高い丘にあるミケランジェロ広場からこの街を一望した。何度眺めても(といっても二度目だが)美しい光景だ。

サマセット・モーム歴史小説『昔も今も』で、イタリア統一をめざす法王軍総司令官チェザーレ・ボルジアのもとへフィレンツェ共和国防衛のため外交官として派遣されたニッコロ・マキアヴェリが、とりあえずの役目を終えて帰国する場面がある。

マキアヴェリは前方に眼をやった。夕陽が沈みゆく青白い冬空の彼方に、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の赤い瓦の丸屋根が、誇り高くそびえている。(中略)あれだよ、おれが自分の魂よりも愛している都だよ。(中略)ああ、わが故郷よ、フィレンツェよ、花の都よ。マキアヴェリの心に熱い思いがこみ上げてきた。」(天野隆司訳)

マキャベリがこの気持を書き遺しているかどうかは知らないけれど、少なくともモーム

がこの街にいだいていた感情は察せられる。

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二度目のフィレンツェだが、前回は時間の関係でウフィツィ美術館をパスせざるをえず、今回ようやく入館できた。

メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館であり、イタリアルネサンスの巨匠の絵画を中心に展示は二千五百点にのぼる。くわえて特別展ではダ・ヴィンチの手稿展が催されていた。

聞きしにまさる美術館であり、旅行案内書ふうにいえばフィレンツェの旅の醍醐味である。

E.M.フォースター眺めのいい部屋』で旅行案内書に頼ろうとするルーシーを作家のミス・ラヴィッシュが、そんな本には表面的なことしか書いていない、本物のイタリアは辛抱強く観察してはじめて見えてくるとたしなめる場面がある。その通りだと思

いながら、せめて「表面的なこと」だけでも見たいと願いながら旅を続けている。

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