2018イタリア旅行(その一)

十一月二十八日成田空港を出発しミラノへ着いた。

このまえ北イタリアを主に旅したのは二0一三年の秋で、ミラノ、フィレンツェポンタシエーベ、ローマシエナ、ピサ、ヴェネツィア、ベローナを訪れた。

今回はミラノ、ヴェネツィアボローニャ、ピサ、フィレンツェ、ローマ、アマルフィポンペイナポリの周遊だ。

         □

わずか半日のミラノ。この前は自由時間が多くあり、須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』に描かれた須賀、ペッピーノ夫妻が活動の拠点にしたコルシア書店の跡にも行けてうれしかったが、今回はそうした余裕はなく、もっぱら車窓観光だ。

f:id:nmh470530:20190104111723j:plain

上の写真は慌ただしいなかで撮った一枚で、これを見るとミラノは昔の城壁跡に最新ファッションのコマーシャルを掲げて絵になる街だとあらためて思う。「走馬看花」のミラノをあとにヴェネツィアへ向かった。ヴェネツィア大好きのわたしにはいきなりメインディッシュをドーンと出されたような気持だが、贅沢言ってはきりがない。

         □

五年前ヴェネツィアへ来たときはもっと早い時間帯だったが、今回は夕暮れどきで、そういえばなつかしいMJQ(モダンジャズカルテット)に「たそがれのベニス」という名盤があったのをここへ来て思い出し、iPhoneに入れてこなかったのが残念だった。

f:id:nmh470530:20190104111751j:plain

サンマルコ広場を散策し、サンマルコ寺院、ドゥカーレ宮殿に入り、そうしてゴンドラに乗るというヴェネツィア観光の定番のあとは入り組んだ商店街をあるき、夜のリアルト橋界隈でたたずんだ。

ヴェネツィア大運河にかかるこの橋周辺には早くから集落ができていてヴェネツィア誕生の地とされる。はじめは木製のはね橋だったのが、一五五七年に石造の橋の設計案が公募され、その結果採用されたのがアントニオ・ダ・ポンテの案で、いま見られる姿になった。公募にはミケランジェロも参加していた。

f:id:nmh470530:20190104111805j:plain

         □

水の都には運河が四通八達していてそこにかかる橋は多く、なかでリアルト橋についでよく知られるのがため息橋だ。石造のリアルト橋とおなじ十六世紀に架けられた橋はドゥカーレ宮殿内の尋問室と牢獄とを結んでいる。

囚人にとってわずかにヴェネツィアの美しい景色が見られるのがこの橋の上であり、やがて刑場に向かうときのため息の場となる。もっとも名付けたのはヴェネツィア人ならぬイギリスのジョージ・バイロンで、物語詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』のなかでBridge of Sighsと呼んだのがはじめだった。

わたしのなかでヴェネツィアのため息橋と対になっているのが江戸の泪橋だ。前者では囚人がため息をつき、後者では刑場に向かう囚人の姿に家族が泪を流した。

ついでながら「鉛の監獄」の異名のあるヴェネツィア監獄から脱獄したのがジャコモ・カサノヴァ(1725-1798)で、その顛末記に『鉛の監獄と呼ばれるヴェネツィア共和国の牢獄からの我が脱獄物語』がある。(未読)

f:id:nmh470530:20190104111820j:plain