旅と長命

「月を笠に着て遊ばゞや旅の空」。

作者の菊舎は江戸後期の俳人で、二十四歳のとき夫と死別、二十九歳で剃髪し『奥の細道』を逆コースでたどる最初の大旅行に出て、その後生涯を旅に明け暮れ、七十四歳で歿した。

上の句は二十八歳で旅立ちを決意したときの句で、句集『手折菊』の巻頭にある。

なんてかっこいい女性だろう。

立川昭二『日本人の死生観』によれば菊舎がそうであったように、江戸の女流俳人には夫を亡くしたあと、独り身のまま、旅をよくし、長生きした人が多かった。それには、もともと前向きな生き方をする強い性格の女性だったことにくわえ、俳句修行という名目で許された旅が健康にあずかっていたというのが著者の見解だ。

おぞらく「けふまでの日はけふ捨てて初桜」(千代女)といった思い切りのよさやストレスをためない生き方も寄与していただろう。

もうひとつ句作という右脳を使う習慣は老化を防ぐといわれ現代でも長命の女流俳人は多いそうだ。

旅と長命でいえば永井荷風はしばしば中洲にいた友人の医師を訪れ、健診的診察をしてもらっていたが、それ以上に『日和下駄』の著者らしく散歩の効果が大きかったように思う。

時代をさかのぼると『翁草』を著した神沢杜口(1710-1795)は宝永から寛政にかけて八十五歳の長寿を保った人で、老いてなお健脚で、暇があるといつ行き倒れてもいいように迷子札を付けて旅に出て、八十歳になるまで一日二十㎞を難なく走破したという。

「行脚の慕はしき時は、千里行の千の字の点を取のけて、十里行にして、畿内近国を経歴し、わびしらになれば、日を経ずして我栖へもどる、行もかへるもすみやかなれば、倦事なく、懶き事もなく、只たのしき許なり」は杜口の金言だ。

足腰がしっかりしているうちに興味関心のある外国に行ってみたいと、いまわたしはせっせと海外に出かけているが、いずれ退職金が底をつくのを心配しなくてはならないし、身体も思いのままにはならない日を迎えなければならない。かたじけなくも命ながらえたときは、神沢杜口に倣って「千里行の千の字の点を取のけて、十里行」とする小さな旅をしたいと願う。