「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」。
この秋、はじめて柿を食べた。鰻の蒲焼と聞くと斎藤茂吉を思い出すように、柿となれば正岡子規だ。そこで夏井いつき『子規365日』を開いてみたところ十月八日と九日と続けて柿の句があった。
「句を閲すラムプの下や柿二つ」
句を見終わったら食べようと置いてある柿なのだろう、ランプの光に映える柿はひとつではさびしく、二つは柿好きの俳人にふさわしい。
「カブリツク熟柿や髭を汚シケリ」
夏井さんによると、これほど好きな柿なのに子規は胃痛で止められたことがあり、そのとき詠んだなかに「側に柿くふ人を恨みけり」の一句がある。かたわらで柿食う人を逆恨みするほどの柿好きだった。
また同書十一月九日にも「詩一章柿二顆冬の夜は更ぬ」が採られている。
一と二をセットにした有名な警句に斎藤緑雨の「筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし」があり、皮肉とユーモアが巧みにブレンドされた味を醸し出している。いっぽう子規の句には冬の夜に好物の柿を食しながら詩を案ずるほのぼのとした姿と詩一章、柿二顆の数詞に暖かなユーモアが漂う。
坪内稔典『季語集』によると明治四十五年の調査では全国に九百三十七種の柿があった。わが町、わが村が自慢の品種を育ててきた地方品種から改良され、商品化されたひとつに富有があり、明治三十六年に登場した。子規は明治三十五年(一九0二年)九月十九日三十四歳で歿したから富有は口にしていない。
「里ふりて柿の木持たぬ家もなし」(芭蕉)。大きな木にすずなりの柿がなっているのはいかにも日本の秋らしい光景だ。「小さい秋」じゃなくて、秋の深まりとともに見えてくる景色。
いつか見た風景のはずだが目にしなくなって久しい。ひょっとして谷内六郎の絵などを通して懐いたわたしの幻想に過ぎないのだろうか?