プリトヴィッツェ湖群事件(晩秋のバルカン 其ノ四十六)


美しく静かなみずうみのほとりを散策したあとは船を浮かべて周遊した。思ってもみなかった贅沢なひとときだった。
プリトヴィッツェ湖群が観光地として知られるようになったのは十九世紀の後半で、ホテルが建設され、ヨーロッパ全土からの観光客でにぎわった。湖群を保全する機関も設置された。一九四九年にはユーゴスラビア政府が国立公園とし、七九年にはユネスコ世界遺産に登録された。
この自然豊かな地は戦場にならなかったと思いたいが、現実は一九九一年三月のクロアチア紛争において最初の武力衝突がここで勃発していてプリトヴィッツェ湖群事件と呼ばれている。これを機にここはクロアチア内のセルビア人分離独立派クライナ・セルビア共和国の支配地となった。紛争は一九九五年に終結しクライナ・セルビア共和国は平和的にクロアチア領に復したが、一帯の地雷撤去に相当の時間を要したのだった。