ラティンスキー橋(2016晩秋のバルカン 其ノ十八)


一九一四年六月二十八日オーストリア=ハンガリー帝国皇位継承フランツ・フェルディナンド大公は妻ゾフィーとともにボスニアの州都サラエボを訪れ、オープンカーでパレードをしていたところを暗殺された。サラエボ事件の勃発である。
この日、オーストリア=ハンガリー帝国によるボスニア軍事占領に反撥する「青年ボスニア」は七人を街頭の群衆のなかにまぎれこませており、その一員で市内中心を流れるミリャッツカ河畔に潜んでいたガヴリロ・プリンツィプの銃弾が大公夫妻に命中した。奇しくもこの日は夫妻の結婚記念日だった。
プリンツィプはボスニア生まれのセルビア人で、オーストリア=ハンガリー帝国への反撥はボスニアの住民、なかでもセルビアや他の南スラブ諸国との統合を望むセルビア人のあいだで強かった。
写真は事件の現場となったミリャッツカ河にかかるラティンスキー橋。