「ファントム・スレッド」

優れた映画は多義的な解読を積極的に受け入れる。「仁義なき戦い」がアクション映画としても喜劇映画としても優れていたように。そして「ファントム・スレッド」はサスペンス映画としても、(奇妙な)愛の映画としてもまことに充実したものだった。公開、即傑作に入れられる作品だと思う。

一九五0年代、ロンドンで活躍するオートクチュールのデザイナー、レイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)が別荘に近いレストランに勤めるウェイトレスのアルマ(ヴィッキー・クリープス)と出会ったことで彼女を理想のモデルとしてファッションの世界へと迎え入れる。
レイノルズはアルマに自分の作品を装わせるミューズとしての可能性を見出した。男は完璧主義と細心の美学に即して女をミューズに仕立てようと努め、それは成功したかに見えた。ところが女には男が設けた枠に収まりきらない、あるいは収まるのを拒否する大胆があり、それはときに男の繊細な感覚と対立し、無神経にその体内に浸潤した。
他の女だったら関係を断っていただろう、しかしレイノルズはアルマを切れない、それどころか彼女の存在と意思はレイノルズの日常と周囲の人々との関係を徐々に変えてゆく。
デザイナーは美しいモデルに仮縫いの服をまとわせ、そこから針と糸の作業をくわえ、さらなるエレガントをめざした。針と糸はデザイナーだけがもつはずだった。ところが二人のあいだにはもうひとつファントム・スレッド(幽霊の糸)があり、モデルはその糸でデザイナーの心を縛った。流麗なカメラワーク、きらびやかな映像、美しい音楽に包まれながら不安と恐怖はかきたてられ、男と女の行方に一瞬たりとも目が離せない。
アルフレッド・ヒッチコックがいまに生きてあれば、こうした作品を撮りたかったのではないか。そう書いてもポール・トーマス・アンダーソン監督には失礼にあたるまい。
(五月二十八日シネスイッチ銀座