クリムト

『パンツをはいたサル』という本を読んだことがある。とくにパンツとサルに関心が深かったというのではないがおもしろそうな書名なので手にした。一九八一年の刊行だから、わたしが読んだのもおそらくそのころだった。著者は栗本慎一郎、当時「ニュー・アカデミズム」というのがもてはやされていて、栗本氏は旗手のひとりだった。もっともわたしは「ニュー・アカ」にはなじめず、同氏の著作もこの一冊どまりで、経済人類学という学問があることと、父君が「四畳半襖の下張り」をめぐる裁判で裁判長を務めたことのほかはまったく記憶にない。
おなじころ勤務先の高校の職員室で何人かの親しい同僚が話をしていて、すこし離れたところにいたわたしの耳に「くりもと」と聞こえたから「栗本ならこのあいだ読んだよ」と口にしたところ「栗本じゃなくてクリムト」とのお言葉が返って来た。わたしは何のことやらわからず「くりむと?」と応ずるほかなかった。
すると、ある女先生が、この男にクリムトの鑑賞など無理と承知しながらも(と、想像する)世紀末ウイーンを代表する画家云々といった説明をしてくれた。つまり、わたしがクリムトの名前をおぼえたのは栗本慎一郎氏の本を読んだ余得だった。
あれから三十余年、おかげさまで先年、ナチが盗んだクリムトの作品「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像1」の帰属問題を扱った映画「黄金のアデーレ」を観ても「クリムトWho?」と訊ねなくてすんだ。そうして老骨の無職渡世はこの一月にウイーンのベルヴェデーレ宮殿を訪れ、ようやくクリムトの「接吻」と「ユディト」を目にしたのだった。