「排除の論理」余話

昨年の衆議院議員選挙に際して朝日新聞が「安保法今は昔」の見出しとともに民進党から希望の党へ転じた何人かの議員をとりあげていた。
集団的自衛権を認める、自衛隊の活動範囲や使用できる武器を拡大するといった内容を盛り込んだ通称、平和安全法制整備法について、民進党は反対、希望の党は適正な運用に努めると立場を異にしている。当時希望の党代表だった小池百合子東京都知事の排除云々にはこの問題が大きくかかわっていた。
民進党から希望の党へ移籍を希望する、すなわち排除されたくなければ安保法反対の看板は下ろさなければならない。朝日の記事では、釈明気味の人もいれば、開き直ったような人もいた。
政治家であるためには選挙で当選を続けなければならない。落選しても医師、弁護士、会社経営者などはともかく、さっそく就活をはじめなければならない人もいる。下手にスジを通して排除されたりすると大変だし、当選のためには釈明も開き直りもありだと考える候補者がいて当然で、命あっての物種、当選あっての政治家であれば、かれらがスジを通すことにさほど期待を寄せてはならない。サルは木から落ちてもサルだが、議員は選挙に落ちるとタダの人となるからまずは当選優先、失業阻止で、もともとタダの人にはなりたくないのが議員センセイなのだ。
いまの政治家の家計の具合はどうだろう。恒産なくして恒心なし、すくなくともスジを通すにも恒産がなければ通しにくい世の中である。衆議院の解散は議員の失業にほかならず、選挙戦で負けるとたちまち就活をはじめなければならない連中に安保法の反対から容認へ立場を変えたと非難するのはむなしい。
スジ論で申せば自民党も脛に傷をもつ点で変わりはない。
昨二0一七年は日中国交正常化四十五周年の年だった。そのまえわが日本国政府つまり自民党政権は何をしてきたかといえば、台湾の中華民国が中国の唯一正統政府であるとして中華人民共和国政府の国連加入に一貫して反対してきた。反共陣営の一員として蒋介石を礼讃し、スジを通していたのである。ところがキッシンジャー国務長官が訪中したのを機に米中の国交がなされるとそれまでの態度は振り捨てて日中国交回復へと走った。(写真は蒋介石の座像、於台北
中共政府の国連招請が決まった際に台湾政府は国連総会を退席した。それまでのことを考えると日本国政府もごいっしょするべきだった。その昔、わが日本だって国際連盟を脱退しているのだ。さりながら中華人民共和国と台湾を天秤にかけるのは国益であり、スジを通すことと国益とは必ずしも一致するものではない。
話は戻るが希望の党から排除されたくなくて安保法反対の看板を下ろしたセンセイがたもきっと国益を考えての行動だったに違いない。