ジョイス、プルーストとの別れ

NHK BS1で「NHKスペシャルインパール作戦」をみた。一九四四年三月から七月初旬まで継続された、蒋介石への援助物資を運ぶルートの遮断を目的としてインド北東部の都市インパール攻略をめざした作戦の全体像と経過が、新たな史料や日本、イギリス、ミャンマー(当時のビルマ)にわたる体験者へのインタビューなどをもとに描かれた力作だった。
この作戦は無謀な作戦の代名詞とされるが、それ以上に何という惨めな作戦だったことか。
作戦遂行の責任者牟田口廉也中将の日常生活の世話をしていた兵士がリアルタイムで記録を書いていて、なかに牟田口と参謀たちとの会話があった。「五千人殺せば◯◯の地点が確保できる」云々。兵士ははじめイギリス軍の数と考えていたところ、じつは日本軍兵士を指していて、兵士は虫けらではないかと愕然とする。
牟田口中将は「弾と食料がなくても何とかするのが皇軍だ」と言っていたという。そこには兵站の考えはなく、補給線は軽視されたまま、つまり合理的思考は皆無として過言ではない。いくら前線に食料はなくても牟田口自身は後陣にいるから気楽である。最高指揮官を最前線に立たせよとは分業無視の議論とされるが、こうなるといちがいに否定はできない。
村上春樹ねじまき鳥クロニクル』第一部で、ノモンハンの戦いを体験した本田老人が「ノモンハンにはまったく水がなかった。戦線が錯綜しておって、補給というものが途絶えてしまったのだ。(中略)後ろの偉いさんたちはどれだけ早くどこを占領するかということにしか興味がないのだ」と語る。小説ではあるがここは体験者の言葉としてよいだろう。おなじく本田老人は「ノモンハンででたらめな指揮をやった参謀たちは、あとになって中央で出世した。奴らのあるものは、戦後になって政治家にまでなった。しかしその下で命をかけて戦ったまのたちは、ほとんどみんな圧殺されてしもうた」。
上のノモンハンはそのままインパールに置き換えられる。
ノモンハン事件は一九三九年(昭和十四年)五月から九月にかけて、インパール作戦は先述したとおり一九四四年三月から七月初旬にかけて、いずれも「皇軍の兵士」を生き地獄に突き落とした軍上層部の所業で、その構造はうりふたつだ。ノモンハンについて反省できる能力があればインパールはなかったのではないか。
それはともかく牟田口中将のような人物が作戦を指揮していたとなるとやはり陸軍はバカが多かったんだとつぶやきたくなる。陸軍の兵士は鉄砲を担ぐか大砲を引っ張って歩くだけだが、海軍は器械を扱ったり、天気図を読んだりしなくてはならないから陸軍より知恵を要するように見えてしまう。ほんとうはそうではないとわかっていても。
いかん、いかん、わたしの亡父も陸軍だったからそんな悪口を書いてはいけない。
ついでながら父はビルマから復員した。砲兵だった。ビルマといってもインパール作戦とは関係なかったようだがイラワジ川を泳いで逃げるのは難儀の極みで、いつだったか「最後まで律儀に大砲引っ張っていたのと泳げないやつは死んだ」と話していたのをおぼえている。
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三月だから少しは暖かくなっているだろうとバルト三国へ発った。(考えてみれば、いや、みなくてもここは北欧で、一日目の朝は−15度、未体験の寒さのなかの旅だった。写真はリトアニアの首都ビリニュスにある杉原千畝の記念碑のまえで)

往路のポーランド航空の座席が通路側だったのはありがたく、窓側には若い女性がいて、機内食のあと、すみませんトイレへ行きますと立った。そのまえに彼女が中国語字幕の映画を見ていたのを目にしていたので、帰ってきたとき訊ねると在大阪の中国人留学生だった。座席を立つときはいつでもご遠慮なくと中国語で言うと、日本語で話してくださってけっこうですよ、とのことだった。
そうはいってもこちらは中国語を口にするよい機会で、何度か下手な中国語と相手の上手な日本語で話をした。日本語でのやりとりがはるかにスムーズなのはわかるけれど、すこしは会話の練習もしなければならない。
吉村昭『海の祭礼』に長崎のオランダ語通詞森山栄之助が漂流民を装って日本にやって来たマクドナルドに英語を学ぶ場面がある。森山が口にした「レルン」がようやく相手に「learn」のことだとわかり、森山が大きくうなずくとマクドナルドは日本語で「ヨーカ、ヨーカ」と、森山は「グッド、グッド」と繰り返すのだった。
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「ご用済みのご蔵書をお譲りください」といった古書店の広告を見ると忸怩たる気持になる。ご用済みどころか、買ったのにご用まで至らなかった蔵書がどれほどの冊数を数えることか。本のほかにあまり金を遣うことはなく、いつか読めるだろうと買ったものの、客観的には一種の生活習慣病である。
退職で収入が激減したのを機にようやくこの病気に気がついた。減った収入への対応策はまず本代の節約だった。それにいま七十をまえにして、これからの人生でどれほどの本が読めるだろう、がんばって買ったとしても無駄は増えるばかりだ。
若いころあこがれた本に、ジェイムズ・ジョイスユリシーズ』、マルセル・プルースト失われた時を求めて』、エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』、それと『千夜一夜物語』などがある。いずれも長大なもので、先年『ローマ帝国衰亡史』は一巻も終えないうちに、『千夜一夜物語』は三巻目で断念した。
そしてこのほど『ユリシーズ』と『失われた時を求めて』を売り払った。前者はほとんど手つかず、後者は第三巻であきらめた。読書にも経済の原理〜投資と利潤〜は適用されてよく、わたしのばあいの利潤は、ものの見方、考え方における刺激、未知の知識の獲得、エッセイを書くときのヒントといったもので、これからさき『ユリシーズ』と『失われた時を求めて』を無理を重ねて読んでもほとんど利潤は上げられないと判断した。
日本の現代文学にまったくといってよいほど関心のなかったわたしが多少は興味を持つきっかけとなったのは二十代の終わりに読んだ丸谷才一『笹まくら』だった。丸谷氏の作品をいくつか読むうちに、その文学的守護神であるジョイスを読んでみたいと河出書房の世界文学全集に収められていた『ユリシーズ』(旧訳)にチャレンジしてみたところまったく歯が立たなかった。旧訳に対してこの惨状なのに、新訳が出たからといってとつじょスラスラ読めるはずもなく、愚かにも新訳の頁を繰ってみたが結果はおなじだった。
この歳になってようやくジョイスにもプルーストにも無縁の徒だったとあきらめがついた。蟹は甲羅に似せて穴を掘る、わたしの穴はそれほどのものだ。
読書が好きだからせめてこれくらいは読んでおきたい、そんな見栄や教養主義の発想で本を手にしてもなかなか身につかない。わたしにはジョイスプルースト教養主義の対象でしかなかった。そうではなくていまいちばん関心のある本を読むべきだ。老年の読書に見栄や教養主義の余裕はない。
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恒例の、新宿〜青梅かち歩き大会に参加。都庁前を8:30に出発、15:57に青梅市体育館前のゴールへ。105位。河辺駅の駅ビルにある梅の湯温泉でひと風呂浴びて、立川の餃子店で慰労会。グループのメンバー全員の完歩を喜び合った。

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森友学園問題をめぐる財務省の公文書改竄問題の渦中で自殺した近畿財務局の職員は親族との電話で「常識が壊された」と漏らしており、親族は「汚い仕事をやらされたのではないか」との疑いを強めているという。安倍内閣は政策課題に働き方改革を挙げている。人々のワーク・ライフを改めたいと言っている内閣のもとで起こった事象である。
「隗より始めよ」。中国の故事にもとづく格言は大事業をするにはまず身近なことから、物事は言い出した者から始めよと教える。働き方改革をことあげするなら、自殺者を出した財務省のあり方から改革しなければ亡くなった方は浮かばれない。
公文書の改竄は議会制民主主義の根幹を揺るがす問題である。それなのに内閣、中央官庁つまり国はまことに自分たちには甘い。もしも都道府県が同様のことを起こしたならば国はさっそく調査に乗り出し、すべての地方公共団体に厳しい指導の文言を入れた通知文を出すだろう。試みにその通知文を財務省に書かせてみてはどうか。そうすれば鏡に映る自身の姿がはっきりするだろう。
要は自殺者を出すほどの悪行が財務省およびその出先官庁で行われていたのであって、そうした職場風土が安倍内閣のもとで醸成されてきたということにほかならない。ところが首相や財務大臣官房長官の発言や態度からは問題ある職場風土は役人たちが作ってきたもので自分たちは関係ないと言っているとしか思われない。根幹には政治家の問題があるのに「断固真相究明をしなければなりません」などとすべてを役人の問題にすりかえている。自分たちは真相究明の対象には含まれていないのである。