近況記事

Twitterをみていると、SNSの更新が止まっている知人三名のことが気になって、知人の知人に「いまどうされているのか」を訊いてみたら、そのうちふたりが今年の夏に亡くなっていて、SNSソーシャルネットワークサービス)の突然の更新停止は「なにかある」と考えたほうがよいかもしれないと思った、という記事があり、多くの方が「いいね」や「リツイート」の反応を示していた。

顔見知りはもとよりTwitterFacebookなどネット上で交流のある人が、ふと気がつくと投稿しなくなっていたという経験をもつ人が多くいることのあらわれであり、投稿がなくなった原因には病気や死去、トラブル、なんらかの意思転換などなど、「なにかある」と推測される場合がけっこう多いと考えられる。

公式な会議とは別に噂話、陰口をふくむ情報交換の場がある。複雑な社会への対応策であり、ひそかなたのしみでもある。江戸時代であれば侍たちは陰で殿の悪口をささやき、長屋の女たちは共同井戸にあつまり井戸端会議を開いた。

SNSには大規模な井戸端会議という一面があり、その更新が止まったということは非公式会議からの退出を意味する。そして退出はときに訃報と同義である。顔見知りの場合、SNSの更新が止まってたよりがなくなったのは、後日になんらかの通知や風のたよりがもたらされる前兆のようでもある。

おなじ業務を担当して退職した者の親睦会があり、年に一度、総会が催され、会報が発刊される。会報には総会の模様や出席できなかったメンバーから寄せられた近況などが載っていて、過日届いた今年の会報に数年職場をともにした某氏の近況があり、ここ二三年、彼の近況には病気をうかがわせる文面があったので、今年の記事を見てひと安心した。ところが頁を繰ると訃報欄に同氏の名があり、なんともいえない気持になった。

近況記事が更新されているからといって健在とはまいらない場合もある。