金瓜石(2015初夏台湾 其ノ十四)


金瓜石はかつて東北アジア第一の金鉱と呼ばれ、たいへん栄えたところ。日本、中華民国問わず最重要のドル箱の地で、最盛期は日本統治時代の一九三0年代半ばで、住民一万五千人を数え、日本人、台湾人、大陸からやって来た出稼ぎ労働者が金銀銅の採掘に従事した。
第二次大戦後は中華民国政府が台湾金属鉱業股份有限公司を設立して経営にあたったが一九八五年に廃坑となった。およそ九十年にわたり掘られた坑道の総延長は六百km以上に及んでいる。
閉山後は鉱山施設や黄金博物館などの施設と日本統治時代の建物からなる観光地として整備された。採掘の様子が再現された坑道や運搬に使われた線路、日本人宿舎や鉱夫食堂などのほか、当時皇太子だった昭和天皇を迎えるための日本建築「太子賓館」も残されている。
日本人にとっていつか見たことのあるような風景があるのはそのためである。