「艱難汝ヲ玉ニス」

十月からBS放送の「シネフィルイマジカ」が「シネフィルWOWOW」としてリニューアルされスタートした。早々に「バウンド」という映画を録画しておいたところ、これがなかなかの逸品で、幸先のよいリニューアルとなった。
監督、脚本は「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟(二人の性転換によりいまは姉妹)。映像は斬新、ストーリーはハラハラドキドキ。低予算の作品だが、毎度申し上げるように金をかけられなかった優れものには工夫が詰まっている。金がなければ知恵を出せ、なんて阿漕な経営者みたいなことを言うつもりはないが「バウンド」はよく練られた物語だった。
マフィア上層部から大金を預かっている男がいて、この男に飽き飽きした恋人が、マフィアのつてで室内改装の仕事に就いたレズビアンの女泥棒といっしょに持ち逃げを図り、追っかけてくるマフィアと戦いながらお宝争奪戦を繰り広げる。
製作は一九九六年。これまで知らなかったシブいB級映画だ。
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NHKBSのドキュメンタリー番組(題名は失念)で、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長の外交場面をみて、いまの米露の大統領にくらべてずいぶんと人品がいいなと感じた。当時はそうでもなかったから多分にノスタルジーが作用しているのだろう。もっともトランプ大統領に人品のよさを思う日が来るとは考えにくい。
レーガンゴルバチョフいずれも外交という闘いを演じ、結果勝利はレーガンに帰した。ただし両氏の表情からは勝敗の感情はまったくうかがえず、闘いなどなかったようだ。
比較してトランプ大統領は感情のたれ流し状態として過言でなく、安倍首相も感情が表に出やすい嫌いがある。
熾烈な闘いを演じながらも感情は包み隠し、騙しはできても騙されず、会議を踊らせるなんて政治、外交の古くさいイメージでしかなく、それよりも感情を表に出して突っ張りあうのが現代の政治にはふさわしいのかもしれない。演ずるのは自己抑制の稀薄なワンマンタイプの首脳たちだから下々陣笠にもおなじタイプが多くなるのは当然であろう。
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週刊文春」の不倫報道により民進党を離党した山尾志桜里氏が先の衆議院議員選挙で当選した。この方は自民党の宮崎某が不倫騒動を引き起こした際にはテレビ番組で激しく批判したと聞く。「人のふり見て我がふり直さず」のうえに「人のふり」を非難するのは不倫以上の顰蹙だ。
いい歳をした男女がホテルで密会してどうしたのかは推測の域ではあっても常識として山尾氏の「男女関係はなかった」は強弁とみてさしつかえない。彼女からするとゲスの勘ぐりだろうが、なに、ゲス不倫と好一対である。
他方、山尾氏と東大法学部で同級だった豊田真由子氏は秘書に暴言を吐き、暴行に及んだのがたたって落選した。
いやしくも立法府にある者の「法の精神」に反する行為という点ではお二人ともおなじだが、あえて比較をすれば、第一に刑事罰の対象になるとならないとの違いがある、第二に暴言暴行は野蛮であり、他方、「不倫は文化」とおっしゃった方がいて、わたしはそうは思わないけれど、いずれにせよ鉄拳よりはずいぶんとなまめかしい。ここらあたりに「罪と罰」の相違がありそうである。
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いつぞやの園遊会で、招待されてもいない自身の母親を入れようとして宮内庁の職員に断られると大声で抗議したうえ母親同伴で入場を強行した女傑議員がいた。秘書への暴言、暴行、「この、ハゲーっ!」「ちーがーうーだろーっ!」「鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!」の豊田真由子センセイで、声を荒げず、腰を低く、応対は丁寧にという謙譲とは反対に力を誇示するのがこの人の流儀で、座右の銘が「艱難汝ヲ玉ニス」というのも武勇鉄血のセンセイにふさわしい。
そのむかし西園寺公望が国定修身教科書から「艱難汝ヲ玉ニス」という言葉を抜いたらどうかと言ったことがあったが政府は応じなかった。このことについて開高健は「遊びの下手な日本人」というエッセイで、言葉を抜いてもどうなるものでもないが、せめて強迫観念、プレッシャーを軽減してやりたいと願ったのかもしれないと推測したうえで「艱難汝ヲ玉ニス」と「バスニノリオクレルナ」の二つの言葉こそがこの国に生きる人の心の奥底に響く呼び声であると論じた。
発表されたのは一九六四年だから半世紀以上が経つ。このかん二つの呼び声の呪縛はやわらいだのか、それとも相変わらずなのか。
さきごろ違法残業で自殺者を出した事件で電通が敗訴した。東京簡裁は求刑通り罰金五十万円の判決を言い渡し、菊地努裁判官は「尊い命が奪われる結果まで生じていることは看過できない」と述べた。おそらくこの広告大手の社内は「艱難汝ヲ玉ニス」と「バスニノリオクレルナ」の色調に染まっていて、わたしの目に一瞬、それを体現しているのが豊田真由子センセイと映った。
政府与党を中心に道徳教育強化の声が高い。「艱難汝ヲ玉ニス」の行方に注目しよう。
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十一月四日。ラグビー日本代表対オーストラリア代表ワラビーズの対戦をテレビ観戦した。30-63と力の差は歴然だったけれど後半だけ見れば僅少差だった。2019年ラグビーW杯に向けて一層の強化を期待したい。
当日の観客数は43621人。ラグビー日本代表の試合としては新記録だった。会場は2019 W杯決勝戦の会場となる日産スタジアムで、ここが満杯になるにはこの日の観客数にくわえなお三万人余が求められる。
そこで問題になるのが大会の認知度で、大会組織委員会の調査によれば2019W杯が日本で開催されるのを知っているのは全国平均で51%、「週刊新潮」に「知っていても誇れないし、知らないとしても恥じなくてよい」との数字とあった。地域差もずいぶんあるようだからまだまだ伸びしろは大きいとはいえ、全国紙におけるトップリーグの扱いの多くは紙面の片隅に試合結果が載るだけで、まことに心もとない。国際競争力の低い競技はこんなものか。前回2015W杯で日本代表が南アを破ったころと比較してわずかのあいだながら隔世の感がある。
わたしのばあい2019W杯はどうやらテレビ観戦に終始することになりそうだ。決勝戦ともなるといちばん安い席で25000円。年金生活者は早々に白旗を上げた。現職時には秩父宮ラグビー場によく足を運んだし、仕事の上でも関わりがあった。ただしいまはJスポーツチャンネルでの観戦がもっぱらで生活防衛が先に立つ。
幸か不幸か加齢とともに欲望は減退気味、くわえて欠いてはならぬ義理とふんどしではあるが、いざとなれば欠いたってかまうものかと考えるようになった。欠いたあとはどうなと勝手に棕櫚箒なのだ。
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十一月十二日。若い友人たちと新宿〜青梅43キロかち歩き大会に参加した。8:30都庁前の新宿中央公園を出発し、15:26青梅市民体育館前にゴールした。目標時間は東京マラソンのタイムリミット7時間を切ることだったので僕的には喝!じゃなくて祝!でした。次のマラソンもこの調子で行きたいな。
ゴールのあとは桜川駅ビル内の温泉でひと風呂浴び、そうして立川の餃子屋さんで慰労会。

スタート地の新宿中央公園については大沢在昌新宿鮫8 風化水脈』に、この公園付近には十二社(じゅうにそう)の池といわれる大小ふたつの池があり、いずれも一六0六年(慶長十一年)に灌漑用水の溜池として作られ、「熊野の滝」「萩の滝」と呼ばれた滝が流れ落ち、当時のようすは歌川広重の版画に伝えられていると親切な記述がある。
この作品で大沢氏は、若い人には新宿副都心が旧淀橋浄水地だったころの姿はおよびもつかないだろうと「付け焼き刃」と謙遜しながら新宿の歴史を語っておきたいと筆をふるっている。
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米が届けられて袋に「新米」のシールが貼られてあった。米の収穫はふつう九月から十月にかけてだが、いちばん早い新米は沖縄県石垣島のお米で、毎年六月下旬から七月初旬に登場するそうだ。九州からは十一月になって新米が登場することもあるという。
「新米といふよろこびのかすかなり」(飯田龍太
ことわざに「女房と畳は新しい方が良い」という。わたしはそうは思っていないので念のため。そのうえで女房に組み合わせるのにどうして米ではなく畳なのかが疑問である。
愚考するに、米のほうがより直截的ではあっても畳に較べて切実の度合が高く、冗句の対象にするのははばかられるためではないか。米にくらべて畳のほうがからかいやすく、女房に米が配されると畳のときとは一変して「女房と米の飯には飽かぬ」となる。同義のことわざに「女房と味噌は古いほうが良い」「女房と鍋釜は古いほど良い」がある。
米、味噌、鍋釜いずれもあだやおろそかにできない。女房殿はあらためていうまでもない。
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さきごろ自宅から歩いて行けるところにTOHOシネマズ上野ができた。映画館のない上野浅草地区での八つのスクリーンをもつシネコンの誕生は朗報で、六本木や有楽町とちがって交通機関を利用しなくてすむからコーヒー代が浮く勘定だ。映画館のあるビルのスターバックスに座っていると、店の方が、新築のビルって乾燥するそうです、お水いかがですかと声をかけてくれた。お心遣い多謝。
そのあと上階に行き「ゴッホ 最期の手紙」と「ミックス。」をみた。折よく規定のマイルに達してTOHOシネマズより一月間フリーパスを頂戴したので、こういう時こそ貪欲に鑑賞しようと久しぶりの連チャンとなった。
前者は画家の生涯をたどった芸術(家)の映画と思っていたのだが、さにあらず、ゴッホの画調、色調をベースにした斬新なアニメーションであり、物語的には、彼の死の謎を探るミステリー仕立て、またハードボイルドの趣もある作品で、ゲージュツ苦手のわたしにも興味深い作品だった。
後者は卓球の男女ペアという調味料で味付けした、スポ根と恋愛模様ブレンドした優れた「定型」の物語。笑いあり、涙あり、山あり、谷あり、そうしてラストはみんなハッピー、上出来の古典落語の高座に接した気分だった。
昔、職場のバドミントン大会で、シングルに比して「ミックス。」(当時は混合ダブルスと言っておりました)になるとわたしは妙に強かった。その思い出とともに微かに残る若き血が滾った。