「ドリーム」

アメリカ合衆国初の有人宇宙飛行計画、マーキュリー計画ジョン・グレン飛行士が地球を三周したのは一九六二年二月のことだった。「ドリーム」はこの事業の成功に貢献した三人の黒人女性〜キャサリン・ジョンソン、ドロシー・ボーン、メアリー・ジャクソン〜の物語。
マーキュリー計画に従事した宇宙飛行士たちを描いた映画「ライトスタッフ」(真にふさわしい資質)を引き合いに出せば「もうひとつのライトスタッフ」である。

ずば抜けた数学的才能をもつキャサリンタラジ・P・ヘンソン)、計算係(いまならコンピューターが行う計算を人力でやっていた)のまとめ役ドロシー(オクタビア・スペンサー)、エンジニア志望のメアリー(ジャネール・モネイ)、三人はバージニア州ハンプトンにあるNASAのラングレー研究所に勤める身だが、有色人種と女性にたいする二重の差別と偏見の強い職場にあって能力を発揮しにくい環境に置かれている。
キャサリンは優秀と認められ特別研究本部に配属されたが、周囲は小馬鹿にして必要な情報を提供しないばかりか協働業務から爪はじきにしようとする。それまでなかった黒人用コーヒーポットが現れる。黒人用トイレは職場から八百メートル彼方だ。
ドロシーはロケット打ち上げのための数値を出すグループのまとめ役でありながら管理職登用の具申は店ざらしにされたまま。
メアリーにいたっては志望するエンジニアに向けた研修を実施する機関はなく、道は閉ざされているとまでいわれる。ほんとうは研修は実施されている。しかし黒人の受け入れは認めていない。
このなかにあって三人は屈することなく風穴を開け、理不尽な状況を改善してゆく。
黒人女性への差別と偏見をテーマとした作品ながらわたしは劇場をあとにするときハッピーなミュージカルをみた気分になっていた。重い社会問題を扱いながらエンターテイメントとしても優れた作品を演出したセオドア・メルフィ監督の腕前には感心するばかりだった。
その要因を二点挙げると、第一に、天才肌、管理実務型、スペシャリストタイプといった三人の人物造型がある。目前の壁を崩し、問題の解決を図ってゆくのは三人三様、それぞれの個性、性格に応じたやり方で課題が克服されると、こちらもうれしくなる。
第二は随所に散りばめられた小気味いいやりとりとテンポのよいストーリー展開。たとえば「偏見は持ってないのよ」「わかります、あなたに自覚がないことは」といったやりとり。管理職への具申を止め置いている人事担当の白人女性とドロシーとの応酬で、わたしはここから、昔ある本で読んだ「アメリカの黒人問題は重大です」「アメリカに黒人問題はありません。あるのは白人問題です」といったくだりを思い出した。
そうそう、宇宙開発の遂行に差別と偏見は関係ないと人道的、合理的判断を下すラングレー研究所本部長アル・ハリソンをケビン・コスナーがシブく演じているのも言い添えておかなければならない。
というふうに宇宙開発の推進に尽力した黒人女性の生き方をたのしく、あたたかく見守りながら、気がつくと社会的正義感は高揚していて、面白くてためになるは過言ではない。超インテリ黒人女性だから調子よく運んだとの見方もあるだろう。しかしここは素直に受け止め、賛意を贈りたい。
いま政府、与党を中心に道徳教育推進の掛け声が高い。そうした声の主にはこの作品を教材としてお薦めしておこう。
なお原題は「Hidden Figures」。figureは人の姿、ときに重要な人物の意味合いを帯び、また数字、計算という意味もある。ここには邦題からは窺えない隠れた多義性がある。
(九月二十九日TOHOシネマズシャンテ)