「セールスマン」

この映画を撮ったアスガー・ファルハディ監督はトランプ大統領の発した母国イランを含む特定七カ国からの入国制限の大統領令に抗議して、本年度アカデミー賞授賞式をボイコットした。その授賞式で本作品はアカデミー外国語映画賞に輝いた。前作「別離」に続く受賞である。

ある日、夫の不在中、妻は引っ越したばかりのアパートで何者かに襲われ、性暴力に遭う。
夫(シャハブ・ホセイニ)は高校の先生をしながら、役者として小さな劇団に所属していて、妻(タラネ・アリシュスティ)もおなじ劇団で舞台に立っている。
事件のあとでわかったことだが、夫婦の引っ越し先は直前まで娼婦が住んでいて、彼女がいると思い込んでいた客がここを訪れ、暴行に及んだらしい。
復讐への思いにとり憑かれた夫に対し、妻は事件が表ざたになるのを嫌がり警察へ通報しようとしない。苛立つ夫は独自に犯人を探しはじめ、これを機に事態は思いがけない方向へと転がってゆく。
事件の発生―犯人の捜索―結末という流れは序破急の典型といってよいしっかりした構成、作劇術であり、状況の変化とともに複雑なサスペンスがみる者を刺激する。具体には夫婦の感情の齟齬、性的被害と復讐をめぐる法律と感情、夫婦と隣人、劇団員との人間関係、レイプ被害者への抑圧、捜査や司法に対する視線など、いずれも普遍的な問題ではあるが根っこにはイランの文化風土がある。
夫婦が演じているのは「あるセールスマンの死」。アメリカンドリームの影の部分を鋭くえぐった老セールスマンとその家族の悲劇で、アーサー・ミラーの戯曲が通奏低音として微妙な響きをもたらすうちに舞台と実生活の悲劇が交錯する。
前作「別離」は自由を求めて出国を望む妻と要介護の父を置いては出国できない夫、父母のいずれと生活するかの選択を迫られる中学生の娘の一家の物語で、離婚は決定的となったが娘の葛藤はそのままにドラマは終わった。同様に本作も、被害者、加害者とそれぞれの家族のその後の物語は観客にゆだねられるかたちで終わる。その意図は十分承知しながら、できれば監督の描くその後をみたかった。結末の付け方はむつかしい。
(六月十二日Bunkamuraル・シネマ)