「I'll be seeing you」 余話

ウィリアム・ジンサー『イージー・トゥ・リメンバー アメリカン・ポピュラー・ソングの黄金時代』という本がある。先年、国書刊行会から関根光宏氏の訳で上梓された。(WilliamZinsser『EASY TO REMEMBER The Great American Songwriters and Their songs』、本ブログ二0一五年五月二十日に紹介記事を書いていますのでご参照ください。)
ここで著者は「I'll be seeing you」について「明日の幸せを願う究極の歌」としたうえで、一九三八年に書かれた曲が戦時中にヒットした事情について「離れて暮らす恋人たちにとって“二人がよく通い慣れた場所”での再会を願うこの歌は、互いの無事を約束する呪文のように響いた」と述べている。

さようなら、また会いましょう、あの懐かしい場所で、そう、小さな喫茶店、通りの向こうの公園……多くの歌手が歌っているなか、まず挙げておきたいのがコモドアレーベルのビリー・ホリデイで、戦争で引き離された恋人たちの運命を想像しながら聴いていると目頭が熱くなってくる。
ところがこの曲で笑わせられたことがあり、そのときはなんだか世の珍妙を実感した。
スティーブン・キング原作、ロブ・ライナー監督「ミザリー」が日本で公開されたのは一九九一年だから早いもので四半世紀が経つ。
ご承知のように、作家のポール・シェルダン(ジェームズ・カーン)が自動車事故で重傷を負い、そのナンバーワンのファンを自認する中年女性アニー・ウィルクス(キャシー・ベイツ)が看病といいながらポールを監禁状態に置き、狂気の片鱗を小出しにだんだんとエスカレートさせ、彼女の異常に気づいたポールは必死になって脱出を試みるといった物語で、やっとのこと狂気のファンの魔手から逃れた作家がほっとしたところでクレジットタイトルが表示され、男性歌手の「さようなら、また会いましょう」が流れる。このときは思いがけない「I'll be seeing you」ににやりとしたものだった。
歌っているリベラーチェ(Liberace)はWikipediaに米国のピアニスト、エンターテイナー、派手なコスチュームプレイで大衆の人気を博し、「世界が恋したピアニスト」と呼ばれていたとある。一九八七年に六十七歳で歿しているから「ミザリー」のときは彼岸で苦笑していただろう。