「夜明けの祈り」

アウシュビッツ収容所をはじめポーランド強制収容所の多くはソ連軍により接収され、囚人たちは解放された。そのいっぽうでは統制の保てない兵士による蛮行が頻発した。スターリンポーランドにたいし領土の野心を隠さなかったから、そのことも影響していたのかもしれない。
「夜明けの祈り」はソ連兵の一団が田舎町にあるカトリック修道院を襲撃し、修道女をレイプし、なかの七人が妊娠した事実に基づく物語である。(もしも修道院ロシア正教系であれば兵士たちは自制しただろうか?)
半藤一利佐藤優『21世紀の戦争論』(文春新書)によればソ連軍は占領当初の一週間ほどはいかなる乱暴狼藉も許していて、そのあいだは赤軍のコミッサール(政治将校)を派遣しなかった。またスターリンは殺人や強盗、強姦などを犯した刑事犯やドイツの捕虜となったあと帰還した兵士(スパイ扱いされた)、政治犯などで構成する部隊を死刑免除の代わりに最激戦地に送るよう命じていた。こうした事情も事件の背後にあったと考えられる。

一九四五年十二月、赤十字病院で医療活動に従事するフランス人女性医師マチルド(ルー・ドゥ・ラージュ)のもとに、ひとりの修道女がやって来て、内聞にしてほしいと求めたうえでソ連兵の暴行と修道女たちの妊娠の事実を告げる。
カトリックの教義において新しい生命の誕生は「神からの授かりもの」であり、いかなる事情があろうとも中絶は許されていないが、ソ連兵による強姦の記憶は消せるものではない。修道院の今後や修道女としての社会的体面も意識せざるをえない。妊婦かどうかを問わず修道女たちは信仰と現実のあいだで悩み、事態にどう立ち向かってよいのかわからないままさまよっていた。
原題は「Les Innocents」、無垢な人たちを襲った悲劇である。
マチルドの本務は傷病兵の治療であり、事実を知ったいきさつ、修道女のプライバシーを考慮すると、こっそりと修道院へ向かうほかなかった。往来するうちに彼女もソ連兵に襲われる。上官が止めに入ったのは乱暴狼藉が認められた期間外だったからだろうか。いずれにせよ彼女自身も医療と信仰と戦争がもたらす緊張のなかに置かれていた。
出産が始まった妊婦に即応しなければならないが職場には秘密にしてあるから一人ではむつかしい。意を決したマチルドは彼女に好意をもつ一人の男性医師にこれまでの経緯を告げ協力を得る。
優れたカメラワークがとらえた冬のポーランドの姿は「無垢な人たち」の美しさに通じている。けれどその内面風景は思いもよらない出来事がもたらした迷いと重苦しさに覆われている。
そこに仄かな光が射す。新たな生命の誕生を援け、母親となった修道女を支える医師の誠実で確固とした信念に基づく行動が修道女たちに新しい視野と希望の芽をもたらそうとしている。
監督はアンヌ・フォンテーヌ。前作「ボヴァリー夫人とパン屋」についてわたしは本ブログ(二0一五年八月十日)に「美しいノルマンディー地方の風景を背景にした、エスプリとユーモアとエロティシズムが漂う悲喜劇」と書いた。これに倣えば本作は「美しいポーランドの風景を背景にした無垢と蛮行と希望が織りなす物語」となる。
(八月七日ヒューマントラストシネマ有楽町)