「20センチュリー・ウーマン」

一九七九年のサンタバーバラを舞台として描かれた母と息子とその周囲にいる人々のひと夏の経験。
マイク・ミルズ監督は前作「人生はビギナーズ」で七十五歳でゲイであることを告白した父親を、今回は自由で独立心旺盛な母親をモデルとした。ともに自伝的要素の濃い作品だ。

ドロシア(アネット・ベニング)は五十五歳。大恐慌時代を経験した世代の彼女は夫と別れ、息子のジェイミーと生活している。ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)は十五歳。母は思春期の男の子の心理を理解できず、もどかしさを感じている。
劇中「カサブランカ」のリックとエルザの愛のテーマ「時の過ぎゆくままに」と当時ロック・シーンを席捲していたパンクが何度か流れていた。ドロシアの覚えるもどかしさは「時の過ぎゆくままに」がパンク・ロックを理解する困難である。
わたしは「時の過ぎゆくままに」はしょっちゅう聴いているけれどパンクを自分から耳にすることはない。ところがこの映画にあっては両者がうまい具合に響き合ってドラマを構成している。いっしょに綺想曲を作り上げているようで、稀有なことだが、これはドラマの質の高さに通じている。
思春期にあるジェイミーの教育にとまどうドロシアはルームシェアで暮らすアビー(グレタ・ガーウィグ)と近所に住むジュリー(エル・ファニング)に、息子に関わってあげてほしいと頼む。ここでわたしは、おいおいこれは「20センチュリー・ウーマン」じゃなくて「お母さんの一人相撲」じゃないかと思ってしまった。
アビーは二十五歳の女性カメラマン。ベトナム反戦や女性解放運動、パンク等の洗礼を受けた世代だ。アビーは自由な生き方を求めながら精神的な不安に悩む十七歳、ジェイミーの幼なじみにしてガールフレンドだ。
五十五歳、二十五歳、十七歳と年齢にこだわったのはこの作品が十五歳の少年を介しながら三世代の女性の感覚や価値観の相違が浮き彫りにされる物語でもあるからだ。母親が二人の女性に教育係を依頼するなんて「お母さんの一人相撲」じゃないかと思ったのは束の間、その印象は嬉しくもどんどん裏切られて、女性たちの生き方とその頃のアメリカが見えてくるのだった。
人生経験も感覚も異なる人たちだから、分かりあえること、あえないことがあって当然なのだが、この映画にはそこのところをふまえた共感が漂っている。母と子、世代の異なる女性、ドロシア、アビーとルームシェアしている奇妙な中年男性、かれらのユーモラスで温かな交流から生まれる共感があって「時の過ぎゆくままに」とパンク・ロックは響き合う。
(六月八日丸の内ピカデリー