『武士道の精神史』

「分別らしきもの腰ぬけべし」「武辺は無分別とそこつ(粗忽)の間より出る」
天野長重という旗本が書いた教訓的備忘録『思忠志集』の寛文八年(一六六八年)の記事にある、かつて武勲を立てた老人が語った言葉だそうで、氏家幹人江戸藩邸物語』で知った。
命懸けの闘いに臨んでは理性よりも闘争心が大事であり、分別は腰ぬけにつながる、武士の勇気は理性や慎みではなく無分別と粗忽のあいだから湧くと語った武功の老人に、重んじられるべきは「分別」ではなく「武辺」は自明の理であったが、やがて戦乱の世が過去のものとなり武士に別の生き方や職務が求められるようになると剣よりも勤務、「分別」に重点は移った。
鳴海章『密命売薬商』は江戸時代末にあって「武辺」に殉じた男たちの魅力ある物語で、なかである人物が「今ではやっとうが多少上手にできたところで自慢にもならず、求められるのは実務的能力ばかりである。/昔であれば皆から爪弾きにされたうらなりの青びょうたんが昨今では黒羽織を着て、肩で風を切っている」と語っていた。
江戸時代、社会が安定するにつれ武家のあいだでは「武辺」「やっとう」から「分別」「実務的能力」へと重点が移動した。かねてよりこうした社会のありかたと武士道の変遷に関心があり、ちくま新書の五月の新刊、笠谷和比古『武士道の精神史』を手にした。

本書で「武辺」と「分別」の問題を追ってみよう。
まずは甲斐の国の戦国大名である武田氏の戦略、戦術を記した軍学書『甲陽軍鑑』の「人つかひ給ふ様あしく御座候と先日も大形申し上ルごとく(中略)武士道の役に立つ者をば、米銭の奉行・材木奉行或は山林の奉行などにされ」という一節が目を引いた。
戦場で優れた働きをする「武士道の役に立つ者」と「米銭の奉行・材木奉行或は山林の奉行など」の実務派との分離、対立の機微が戦国時代の武家のあいだにもあったと知れる。
もとより「十七世紀の当初までは、戦場における槍働きに優れた者こそ真の武士であり、行財政職に携わる者は『戦場での役立たず』という価値観が支配的でした」と著者が言うとおり価値の高いのは戦場で優れた働きをする者であり、実務派は劣った側だった。それだけ武士道では勇猛果敢が大切だった。
ところが江戸時代になり平和と社会の安定がもたらされ、戦争のない世のなかでの武士のありかたが問われるようになると武士道も変わらざるをえない。そこで武士はみずからの存在意義を行財政分野の役職に見出した。「戦場での役立たず」だったはずの「米銭の奉行・材木奉行或は山林の奉行など」が武士の生きる道となったのである。
文武両道の理想はあっても生活を支えてくれるのは文であり、行財政職に就けない者は「無役」として「役立たず」扱いを受ける。文字、知識がなければ仕事にならない。
笠谷氏によればヨーロッパの騎士はたいてい文盲で社会通念として文字は僧侶が扱うものだった。世界的にもこうした傾向にあったそうだが、日本では特に江戸時代以降、武士の識字能力は著しく高まった。行財政職を担う武士としては当然の道筋であった。
時代劇ではよく浪人が町人の子供たちに文字や素読を教えていて、日本人の教育レベル、識字率の高さに武士が大きく寄与したことをうかがわせる。浪人も「やっとう」よりも文字、素読を教えるほうが生活の支えとなっていて、文武の文がそれなりに身についていなければ余計に難儀な浪人生活に陥りそうである。
武士道の重点が「武辺」・勇猛果敢から「分別」・内面的な徳義へと移行するなかで、内面的な徳義の構成要素である約束の遵守と信頼・信用が強調されるようになった。「武士に二言なし」「信なくば立たず」である。
教育レベル、識字率の高さが武家社会だけのものではなかったと同様に約束の遵守と信頼・信用は他の身分の人々にも大きな影響をあたえた。
著者は江戸時代の商人たちの経済活動において信用がどれほど重視されていたかをみたうえで「自分のエゴイスティックな利益のためではなく、社会の公共的な利益を常に目指すという徳義が商人の間にもあるわけですから、武士が信義・信用を強調すればするほど、反射的に商人たちも、信義・信用をいっそう重んじるようになったと考えられます」と述べている。
ヨーロッパの資本主義の精神はプロテスタンティズムと深いつながりをもつと論じたのはマクス・ウェーバーだったが、日本の資本主義の精神は武士道と大きく関係しているようだ。
といったふうに本書の論点は武士道と日本社会、日本人の人生観、道徳観など多岐にわたっていて多くの示唆に富む。多様な議論のなかからもうひとつ「諫言」をとりあげてみよう。
著者は武士道を「往時の日本人の社会的な慣習に即して、半ば自然発生的につくり上げられた規範」と定義したうえで、通貫する徳義として「忠」「義」「勇」「誠」「証」「礼」「普」を「武士道七則」として挙げる。これらは明治維新後も一方でキリスト教と、他方で国家主義と結びついて重んじられたが、なかで大きく変化したのが「忠」で、とりわけその重要な要素だった目上の人にたいしていさめる諫言は絶対服従の強調により大きく後退した。
「明治以降に国家主義と結びついた武士道論では、『諫言」の部分が希薄になり、命を投げ出してでも絶対服従せよという、極めて乱暴な解釈が一人歩きしました」「今日、『諫言』という言葉もほとんど死語になりましたが、この精神があればもっと風通しのいい世の中になるのではないでしょうか。たとえば、組織内で不正や談合が行われているときに、『いや、それはならん」という声を上げる気概を持った人材と、そういうことが言える空気のある組織がつくられていけば、社会はもっと活力あるものになるはずです。組織不正や談合が、やりにくくなる社会が形成されるはずです」との指摘はまさしく現代の課題である。
ところがトランプ大統領によるFBI長官の罷免や「安倍一強」といわれるなか政官界でまかり通る忖度、さらには東芝の不正決算処理や電通過労自殺問題などからあきらかなように、いま諫言はますます困難になっている。それだけ風通しは悪く、意思疎通が困難な状況がある。
どうすればよいかはわからないけれど、読んでいるうちに諫言、忖度は現代を考えるキィワードと思えてきた。丸山眞男『忠誠と反逆』にならって政治思想史の視点からどなたか『諫言と忖度』を著わしてほしいと願う。
本書はあえていえば武士道讃歌であり、著者は武士道が日本の社会にどのような影響をもたらしたのか、日本人の民度の高さにどれほど貢献したかといった観点からその積極的な意義を論じている。例証として挙げられるのが福島、熊本の大災害で、略奪や暴動などは論外であり、乏しい救援物資も奪い合うことなく、みんなで分かち合い、助け合って困難を乗り越えようとする行動は日本社会の、また日本人の一つの固有の行動パターン、心性の表現であり、そこに武士道が培った道徳観念が大きく作用していると説く。
大災害に直面しても助け合い、ともに困難を乗り越えようとする日本人の姿を称揚すればするほど気になるのが関東大震災における朝鮮人虐殺や社会主義者への弾圧だ。ここに触れない大災害時における武士道のエートス論は「いいとこ取り」になってしまう。機会をあらためて著者の見解をうかがいたいと思った。