「うたたねの枕の上」と「をりをりの美景」

ことしの憲法記念日、安倍首相は憲法改正に向けてのアクセルをこれまでにも増して強く踏み込んだ。第九条に三項を付けるとか言っていたが、そのまえに仮名遣いの問題がありはしないか。日本国憲法歴史的仮名遣いで書かれているから整合性をたもつには新たな条文も歴史的仮名遣いで表記されなければならない。この問題をどうするのか。改正論議を機に「美しい国」を標榜する首相が美しい仮名遣いに戻す、なんて言えば面白いのになあ。
安倍内閣といえばちかごろ「一億総活躍社会」の話を耳にしなくなった。いろいろなスローガンで目先を変えているうちにいつしか賞味期限が切れたとすればけっこうなことである。不真面目とは思わぬがとくに勤労精神に富むわけでもないわたしは退職してからの活躍より安穏な隠居生活を願ってきた。もちろん活躍したい方には心から声援を贈るが、自身は「一億総活躍」に巻き込まれるより『方丈記』の「一期の楽しみは、うたたねの枕の上にきはまり、生涯の望みは、をりをりの美景に残れり」を望む。
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昔から文学、映画ともにSFに弱く、でもすこしは冒険もしなくてはと「メッセージ」を観た。世界の各地に縦長で紡錘形の巨大物体がやってくる。敵か味方か、何のために来たのか皆目わからない。そこで米国の政府、軍は言語学者のルイーズ・バンクス博士(エイミー・アダムス)を招請し、宇宙人とのコミュニケーションを図ろうとする。
対話に向けての努力は北朝鮮や移民難民を念頭に置いているとおぼしく、寓意的かつ究極の異文化理解をとりあげた作品はSF弱者にもなかなか興味深かった。
巨大なイカのような宇宙人がスミのようなものを撒き散らす。そのメッセージの解読に苦闘する言語学者。いっぽうで埒があかない現状に苛立つ中国軍は宇宙人に宣戦布告する。ルイーズ・バンクス博士は開戦を阻止しようとするが、ここらあたりから物語はだんだんと哲学的、思弁的になってゆく。博士は娘を亡くしていて、その回想が、宇宙人の文字を解読する精神的な扶けになるのだが、意図はともかく具体の理解はできなかった。やはりSFやゲージュツに弱いわたしである。
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ポーランドを旅したのを機にトマス・キニーリー『シンドラーズ・リスト』をはじめオスカー・シンドラー関連の本を数冊読んだ。旅は本の世界を広げてくれる。『シンドラーズ・リスト』その他はポーランド旅行がなければめぐり逢えなかったかもしれない。つぎには「日本のシンドラー」について知りたくて、白石仁章『杉原千畝 情報に賭けた外交官』(新潮文庫)を手にした。ユダヤ人へのビザ発給がクローズアップされる杉原だが、本書はその点と併せて、彼の秀でた諜報活動を明らかにしている。
杉原はソ連情報の収集にあたりポーランド諜報機関と協力関係を構築して貴重な情報を本国に送り続けたのであったが、総じてそれらは活かされることなく、政官界は杉原に不遇で応えた。「見れども見えず」の言葉通りドイツとの同盟に躍起になっていた人々に杉原からの貴重な情報は無縁のものとなった。
旅と読書をめぐっては宿題があり、一昨年のスペインの旅で読みたくなった本がそのままになっている。具体にはジョージ・オーウェルカタロニア讃歌』とワシントン・アーヴィングアルハンブラ物語』で、なんとかしようとようやく『カタロニア讃歌』に取りかかろうとしたが、その前に『動物農場』は避けて通れず三四十年ぶりに再読し、あらためて凄い作品だと感嘆した。本作について開高健は「これは寓話である。しかも、みごとに成功した寓話なのである。寓話とは諸性格の最大公約数を抽出してきて異種の典型に発展させる作業である」と述べている。したがって豚のナポレオンはスターリンにしてヒトラーでもありうる。

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動物農場』経由でようやく『カタロニア讃歌』(都築忠七訳、岩波文庫)にたどり着いた。一九三六年十二月から翌年六月までのあいだスペイン内戦に参加したオーウェルの体験を基にしたルポルタージュだ。
ファシズムとの闘いに赴いたオーウェルだったが、彼はそこで左右の全体主義という新たな敵を見出した。ファシズムと闘うはずだったオーウェルはその戦闘のなかでスターリニズムの実態を見た。この体験が『動物農場』そして『1984年』へとつながるから世界の文学史上『カタロニア讃歌』のもつ意義は大きいのだが、スペイン現代史に暗いわたしには記述が煩雑に感じられ、通読はずいぶんとホネだった。
バルセロナに来てはじめて、ぼくは大聖堂を見に行ったー近代的な大聖堂で、世界でいちばん醜悪な建物のひとつだ」。註釈にガウディのサグラダ・ファミリアをさすものと思われる、とある。オーウェルはあの建物を醜悪と見た。賛否はともかく、ガウディを神格化しない率直な記述には好感を覚えた。
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自身を棚に上げて言う。
世の中で反省という能力を大きく欠く職業に政治家がある。マニフェストを声高に叫んだ民主党政権マニフェストにはない消費税上げで終焉を迎えたが、反省の弁は寡聞にして聞かない。そのあと就任した安倍首相もここへ来て森友学園加計学園問題への対応を見ていると、突っ張るだけで問題視されていることへの内省熟慮は感じられず、お山の大将、わが党ばかりの世間である。
政治家の仕事の最重要は社会の骨格をつくる、付随する仕事のひとつとして政治を面白くする業務がある。ときに緊張ある政局を演じて国民の眼を引きつけ、政治への関心を高める作業だが、現在の自民党にそうした政局の演者がいないのはさびしい。
ただし、面白くするのと混乱とは異なる。細川連立内閣以来の小沢一郎氏の姿は、わたしの見たてでは後者になる。そこでおそらく民主党政権にあってもこの人が混乱の一要因となるだろうと予想した。予想は当たったが、そのなかから自民党と手を組んで消費税増税を図る人が三代目の首相になろうとは、お釈迦様でもご存知あるめえと慰めるほかなかった。
民主党政権は初代の鳩山首相が悪すぎた。大学の先生をやっていればよかったのに政治を「家業」としたためにおそらく一番不向きな職業選択をした。これほど言葉を弄んだ政治家はめずらしい。愚痴になるけれどマスコミも悪い。「宇宙人」とあだ名していたが、たんに見識を欠くだけじゃないか。
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「一期の楽しみは、うたたねの枕の上にきはまり、生涯の望みは、をりをりの美景に残れり」(生涯の楽しみは、うたた寝の枕の上にきわまり、生涯の望みと言えば、折々の美しい景色を見ることにある)。
方丈記』にある閑居の感慨はしみじみとして味わい深い。
うたた寝といえば式子内親王に「窓近き竹の葉すさぶ風の音にいとど短きうたたねの夢」がある(『新古今和歌集』)。夏の短い夜に見る夢が風に吹かれた竹の葉の音で目がさめる。この一首からするとうたたねは夏にこそふさわしい。
とはいっても「一期の楽しみ」としてのうたたねは、さあ、これからしようと思ってできるものではなく、自然体でいるうちについうとうととなる、言い換えるとがむしゃらな願いはうたたねの精神に反する。いっぽう「をりをりの美景」はその気になって条件が整えばすぐにでもできるからありがたい。くわえて「常に歩き、常に働くは、養生なるべし」なのだから美景を求めて歩くのは健康によろしい、と書いたところで漂泊の思いに誘われ六月二十四日から二十八日にかけてバンコクとアユタヤを訪れた。
はじめてのタイ旅行では、王宮やアユタヤ遺跡群など観光地を訪れる以外は地図を片手にバンコク市内をさまよった。夜は予定を立てていなかったが、ナイトマーケットがいいですよと誘ってくれた若者たちがいてじつにありがたかった。
タイ料理を苦手にした方もいたけれど、わたしはどんと来いのノープロブレムだった。当方、生まれてこのかたたとえ病中であっても食欲がないという経験がない。ホテルの近くにタイ風ラーメン(何と呼ぶのかな)のお店があり昼食を二度ここでお世話になった。いちばんポピュラーなのをよろしくと頼んで出てきたのが写真のラーメン。安くて(日本円で百二十円!)美味。しっかり予習をした若者とラーメン店に感謝!

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新聞記者に話した内容と書かれた記事とに違和感があるとはよく聞く話で、それを避けるために談話記事は事前に見せてほしいと要請する方もいる。先ごろ自民党の二階幹事長が「一行でも悪いところがあれば首を取れと。なんということか」とマスコミを批判した。傲慢ではあるが真意が伝わりにくい嘆きはわかる。
先日、埼玉県の小学校の先生が一生徒に「窓から飛び降りなさい」「明日から来るな」などと発言していたと報道があった。授業終了後児童間でトラブルがあり、教諭が、当事者の一人の男子児童に向かって言ったのだが、トラブルの内容や前後のやりとりがないために不自然さが否めない。
先生の発言の不適切はわかるけれどそこに至る経過、つまり生徒間のトラブルがどのようなものだったのか、なぜ当の生徒だけに「あなたは明日から学校に来るな」と言ったのかの説明がないので全体像が見えない。そこで「一行でも悪いところがあれば」云々の二階幹事長の言葉が思い出された次第だった。
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ラグビー界では四年に一度イングランドウエールズスコットランドアイルランドアイルランド共和国北アイルランド)の四協会が連合チームを組み、ブリティシュ&アイリッシュ・ライオンズとして南半球の強豪国(ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ)に遠征する。ことしはライオンズの年で、ニュージーランドに遠征し、六月三日から七月八日にかけて十試合を戦った。そのうちライオンズVSニュージーランド代表オールブラックステストマッチは第一戦15-30、第二戦24-21、最終の第三戦15-15の結果だった。いずれもウィスキーを味わいながらじっくりテレビ観戦したが、引き分けとなった第三戦で解説の大西将太郎氏が、この決着は次回のライオンズのニュージーランドツアーですから十二年後になりますねと語っていた。十二年後といえばわたしは七十九歳になる。決着は見られるのかしら。