生き延びるために〜「シンドラーのリスト」に思う(其ノ三)

クラクフを訪れるのに先立ちヴィエリチカ岩塩坑に寄った。世界最古の歴史をもつ塩の採掘場であり、産出される岩塩は国家の重要な収入源のひとつとなっており、いまも生産が続けられている。坑道の長さはおよそ300km、最深部は327mに達する巨大採鉱場だ。
創業は一0四四年、国営となったのが一二五0年だから歴史は古く、ながいあいだには地下に立派なホールがつくられ、パーティや結婚式などさまざまな催しが行われている。また呼吸器疾患治療のための地下保養所があり世界中から多くの人が療養に訪れている。
とはいっても第二次大戦中のユダヤ人にとっては恐怖の場所だった。
「おたくには年取った親御さんがおありですか?五十歳以上の人はひとり残らずヴィエリチカの塩坑へ送られるそうですよ」
「働かされるんですか」
「いや、閉じ込めてしまうんだそうです」

オスカー・ーシンドラーの工場に雇用されてホロコーストを奇跡的に生き延びたのはおよそ千二百人。なかの一人にレオン・レイソンがいて第二次大戦の終りを十五歳で迎えた。かれの体験談『シンドラーに救われた少年』に「以前ならユダヤ人の親は子供たちに『もうすぐ終わりになるから』と言っていたが、それがもはや通用しなくなり、『これ以上悪いことが起こりませんように』と言うようになった」とある。
恐怖は止まるところを知らずヴィエリチカ岩塩坑をめぐる話もそのひとつだった。こうした怖しさのなかにあってもなんとか生きてゆく手段を講じるためにまずは食糧を得なければならなかった。
トマス・キニーリー『シンドラーズ・リスト』には「高さの違う二本の尖塔がそびえ立つ聖マリア教会の中央広場では、織物会館のアーケードの下で闇市が開かれていた・・・・・・闇市はにぎわっていた。一般のポーランド人もだが、特にユダヤ人たちがさかんに売り買いをしていた」。
生き延びるため、食糧を得るためユダヤ人の多くは宝石を売るなどしなければならなかった。かれらへの配給は、肉はアーリア系市民の三分の二、バターは三分の一、ココアと米はなかった。