クラクフで〜「シンドラーのリスト」に思う(其ノ一)

オスカー・シンドラーの工場があったクラクフポーランドの産業、文化の主要な中心であり、十七世紀はじめワルシャワに遷都するまではポーランド王国の首都だった。
ことしの一月にポーランドを旅したとき、現地のガイドさんが、美しい古都の魅力にナチスは爆撃を中止したという話があると語っていた。
シンドラーの妻エミーリェは単身で赴任していた夫を訪ねて「小ウィーンとも呼ばれるヴィスワ川畔の宝石、クラクフという甘味な都会」にやって来たとき、感動のあまり、これほどすばらしい都会はいままで見たことがないと語ったそうだ。(トマス・キニーリー『シンドラーズ・リスト』幾野宏訳新潮文庫
歴史上、ここはポーランドでもユダヤ人が多く住む町で、ナチスによる占領期当初にはゲットー(ユダヤ人を隔離した地区)が置かれ、それが解体されたあとクラクフ・プワシュフ強制収容所が設けられた。
以下はスティーブン・スピルバーグ監督「シンドラーのリスト」の冒頭にある字幕から。
「一九三九年ドイツ軍は二週間でポーランドを制した。ユダヤ人には移動命令が下り、国内の一万人以上のユダヤ人が国内に運ばれた」「一九四一年三月二十日全ユダヤ人はユダヤ人居住地域へ。クラクフに集められた彼らはヴィスワ川の南岸、壁に囲まれた0.24平方キロの狭い地区へ押し込まれた」。
ゲットーから収容所へ移されたとき、まだ十代になったばかりだったユダヤ人の少年レオン・レイソンはゲットーから出られるのでうれしいと思ったのもつかのま収容所へ着いた瞬間「まさに地獄だというプワシュフ収容所の第一印象は、その後、けっして変わることはなかった。一目見ただけで、そこはまったく異次元の場所だとわかった。ゲットーでの生活は悲惨だったとはいえ、少なくとも見た目だけは見慣れた世界のように思えた。(中略)プワシュフ収容所はまるで異質だった。そこは、ナチスが二ヵ所のユダヤ人墓地を破壊して、建てたものだった。不毛で。悲惨で、混沌とした場所だ。岩に土に鉄条網、獰猛な犬、冷酷な監視員、殺風景な宿舎(バラック)が何棟も見渡すかぎり並んでいる」と回想している。(レオン・レイソン『シンドラーに救われた少年』(古草秀子河出書房新社

収容所の対極にあるのが町の中心にある丘に建つヴァヴェル城で、ナチスはここをクラクフ支配の本拠とした。上の写真はヴァヴェル城へ向かう坂道で、シンドラーの住まいは坂の下の平地にあった。『シンドラーズ・リスト』には「オスカーのアパートがある通りのはずれの岩山の上に、総督ハンス・フランクが君臨するヴァヴェル城がそびえ立っている」とある。