「おとなの事情」

背広のポケットにそのままにしてあったラブホテルのマッチを偶然に奥様が目にしたとき、大兄(これを読んでいる男のあなた)はどうやって解決を図りますか。苦しいねえ。幸か不幸かそんな経験をもたないわたしには収拾策など考えられません。
マッチをスマートフォンに換えてみる。するとラブホのお相手が気をそそる電話をかけてくる、あるいはメールを送ってくる。もちろん中味があらわになるなんてまったくの想定外だ。
さて、と大兄ばかり問い詰めていては気の毒だ。妻の不倫だってあるから諸兄姉に問いかけよう。
どうなさいますか。

反抗期の娘に悩むロッコエヴァの夫婦の家に新婚のコシモとビアンカ、倦怠期を迎えたレレとカ―ロッタ、恋人にディナーをキャンセルされたペペたちがつどう。
食事をしているうちになりゆきで「メールが届いたら全員の目の前で開く」「かかってきた電話にはスピーカーに切り替えて話す」をルールとしようと決める。
拒否すると隠し事が疑われそうだから集団心理でみんなが賛成したところへいろいろな電話がかかり、メールが届く。なかには「きょうはパンティはいている?」なんてメールがあったりする。
こうして表面上はさしたる問題はないと見受けられた夫婦や友人たちのなかにスマートフォンが割って入り、夫婦間のもめ事や家庭の問題、隠された人間関係などを露呈させる。演劇的なワンシチュエーションコメディの構図にスマホとプライバシーを絶妙に当て嵌めて、事態はスリリングに展開する。
嘘をついてはいけないが、知っていることをすべてさらけ出す必要はない。人間関係の円滑な運行には知らないでいるほうがよいこともあれば、ときに曖昧模糊や嘘の必要なばあいだってある。
ところが「おとなの事情」の七人は行きがかりとはいえ「この上になほ憂き事の積もれかし限りある身の力ためさん」(熊沢蕃山)とばかりにスマホのなかのすべてを出してしまい、そうするうちにスマホに入っていない事情も表に出てしまったりもする。
貴重な真実のためには虚偽の護衛をつけなければならないときもある。ハンドルにあそびのない車はかえって危険だし、正義と倫理に基づく完全無菌の理想社会は左右の全体主義につながりかねない。といってもことはすでに荒立ってしまった。この波風をどうやって収束させるのか。
イタリアのアカデミー賞にあたるダビッド・ディ・ドナテッロ賞で作品賞、脚本賞を受賞したパオロ・ジェノベーゼ監督の本作にあるいささかほろ苦い知恵をご覧あれ。
(三月二十二日新宿シネマカリテ)