「手紙は憶えている」

朝、目をさました老人が妻の名を呼ぶと中年の女性が「お気の毒ですけど、奥様は先日お亡くなりになられたのですよ。わたしは奥様の介護をした職員で、いまはあなたの担当をしています」と口にする。
老人はアウシュビッツの虐殺を生き延び、渡米して現在は高齢者施設で暮らす九十歳のゼヴ・グットマンで、毎度一睡のあと意識は朦朧とし、何をしてよいのかわからなくなるほど記憶障害がひどい。
その老人が人生の最後に収容所で家族を虐殺したナチスの獄吏への復讐の旅に出る。計画はおなじ施設にいるアウシュビッツの生存者で車椅子生活を余儀なくされているマックス・ザッカーとともに立てた。

ゼヴは一週間の妻への服喪のあと施設を出た。伴侶の死を忘れてしまうほど認知症が進んだ老人はマックスの書いた手紙を携行しており、それを読めば自身の過去といま置かれた状況、つぎにとるべき行動がなんとか理解できる。かれがかろうじて過去と現在を認識できているのはマックスの手紙と電話でのやりとりを通じてである。
復讐の対象は特定できていないが四人に絞り込まれていた。かれらを訪ね、確証が得られれば銃を使う。
ペンシルヴェニア州の施設を出たゼヴは銃器店で店主が推奨するオーストリア製の小銃グロックを購入し(銃社会アメリカの片鱗がうかがわれる)、オハイオ州へ、そして国境を越えてカナダへ、再びアメリカへ戻り四人を捜し、訪ねる。第二次世界大戦終結から七十年の歳月はかれらにも大きな変化をもたらしている。亡くなった者もいたがようやく相手を特定したとき真実が暴露されゼヴを衝撃が襲う。
宿怨を晴らす旅はロードムービーの魅力を湛えており、捜し出した人物やその家族との対面はいずれも見応えのある複雑で深刻なドラマであり、くわえて極上のミステリー作品としてリヒャルト・ワーグナーの楽曲をはじめよく考えられた伏線とトリックが配され、網膜に焼きついて離れないおどろきの終結シーンが待ち受ける。
アトム・エゴヤン監督の卓越した語り口、新人脚本家ベンジャミン・オーガストの練りに練られた作劇に、おぼつかない足許ながら眼光鋭い九十歳の男を演じた八十七歳の名優クリストファー・プラマーをはじめかれの行動をコントロールする車椅子の老人マーティン・ランドー、行きずりでゼヴと関わる人たちなど役者陣がみごとに応えている。
(十一月二日TOHOシネマズシャンテ)