スペイン国境を越えてポルトガルへ入り、バスを降りるとそこはエヴォラだった。ローマ帝国時代からポルトガル南東部アレンテージョ地方の中心地で、コリント様式の神殿の一部が遺っている。
八世紀にムーア人の領土となり、以後十二世紀なかばまでイスラムの支配下にあったが一一六五年キリスト教徒による領土回復運動(レコンキスタ)によりポルトガル王国アルフォンソ一世が統治するところとなった。
松田毅一『天正遣欧使節』(講談社学術文庫)によると一五八四年九月五日リスボンを出発した伊東マンショら天正遣欧使節の一行が九月八日にここエヴォラに到着している。リスボンからテージュ河を船で渡り、対岸から馬車に乗り、オリーブの樹が繁るアレンテージョの野を走ってやって来たのだった。宿舎はイエズス会のエスピリト・サント学院で、当時の建物の一部はいまもそのままにある。使節の少年たちが眼にしたローマ時代の神殿をいまわたしたちが見ていると思ったとき日本との縁が深かったポルトガルへ来たのを実感した。