「アスファルト」

フランスのとある街の郊外にあるおんぼろ団地。灰色の空のもとぽつねんと建つ灰色がかった箱状の建物には時代から取り残された雰囲気がただよう。
サミュエル・ベンシェトリ監督「アスファルト」はこの団地を舞台とする三つの出会いが描かれた群像劇、オムニバス作品で、いずれも監督自身がパリ郊外で過ごした子供のころの経験をつづった小説をもとにしているとのことだ。
出会い、その一。修理費を出し合い故障したエレベーターを直そうと衆議一決しかけたところで、自分の居室は二階でエレベーターは必要ないので金は出したくないと一人だけ反対した意固地でさえない中年男がいて、ところが男は脚を痛めたためにしばしの車いす生活を余儀なくされる。さっさと謝ってエレベーターの使用を申し出ればよいのに、わざわざ住人が使いそうもない深夜に近くの病院の自販機に買い出しに出かけ、ここで休憩していた同年輩の女性の夜勤看護師と出会う。
その二。エレベーターのドアが開かないのでいらいらしていた中年の女性を見て近くの部屋のティーンエイジャーの男の子がドアを蹴飛ばしたところで問題解決、さらに女性が鍵を部屋に残して閉めだされたときもこの男の子が助けてくれた。こうして売れなくなったアルコール依存症気味の女優と、親がしょっちゅう不在の家庭の男の子は行き交うようになる。
その三。宇宙からの帰還時に器械の不具合で団地の屋上に不時着した宇宙飛行士が、NASAからの迎えが来るまで、服役中の息子を持つアルジェリア系移民の女性の部屋で世話になる。英語とフランス語による不自由なやりとりを続けながら二人は意思疎通を重ねてゆく。宇宙飛行士を自慢のクスクス料理でもてなす老女は裏町のお地蔵さんにそっと赤い涎掛けをかけているような人を思わせる。

ありふれた日常の物語と超現実的なそれを問わず三つのドラマに共通するのは孤独を抱えた人たちの思いもよらなかった人間関係のなかで体感する人生の哀歓、それが湿気を排した細やかな描写から伝わって来て清々しい気持にしてくれる。そうして観客の眼にあの薄汚れたと見えた団地がなんとも魅力のある建物に映ることとなる。
ネット上に、「アスファルト」「団地」「海よりもまだ深く」を挙げて映画界はちょっとした団地ブームとした記事があり、そう言われると、むかしの人が路地に覚えたなつかしさをいま多くの人が団地に覚えるようになっているのかも知れないと思った。
「今も昔と変りなく細民の棲息する処、表通の日当りからは見る事の出来ない種々なる生活が潜みかくれてゐる。侘住居の果敢さもある。隠棲の平和もある。失敗と挫折と窮迫との最終の報酬なる怠惰と無責任の楽境もある。すいた同志の新所帯もあれば命掛けなる密通の冒険もある」路地(永井荷風『日和下駄』)はこの映画の団地と底流部分において通じている。
売れない女優に扮したイザベル・ユペール、その相手役を演じた監督の息子でジャン=ルイ・トランティニャンの孫にあたるジュール・ベンシェトリ、宇宙飛行士役のマイケル・ピットなど役者陣の出来栄えも特筆に値する。
(九月六日ヒューマントラストシネマ有楽町)