『レディ・ジョーカー』再読

Amazonビデオにあった二0一三年WOWOW製作「レディ・ジョーカー」を視聴してすぐに高村薫の原作を再読した。元版は一九九七年に毎日新聞社から刊行されているが、その後作者は新潮文庫版で全面的に改稿改訂の措置をとっており文庫版『レディ・ジョーカー』と毎日新聞社の単行本とのあいだでの異同に興味があるのだが、どなたか調査研究されてないかな。
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再読してあらためてこの九十年代の物語はこれまで自分が読んだ社会派ミステリーのなかでの最高傑作であり、また現代の被差別部落の問題を扱った文学作品のなかで出色のものだと思った。

東大の男子学生が大手ビールメーカーの採用試験を途中から抜け出し、直後に自分が運転する車で交通事故死する。思いもよらない行動そして不可解な死であった。じつはその直前に学生は結婚を約束した恋人から、父が興信所に調査依頼したところ歯科医であるあなたのお父さんは被差別部落の出身者だった、悪いがこの結婚は断念してくれと言っていると聞かされていた。恋人の父親は学生が応募したビールメーカーの重役の一員だった。
それらの事情をまったく知らない父親の歯科医のところへ同和関係の運動団体の幹部を名乗る男が訪ねて来て、事態は同和問題と関係しているとほのめかす。聞かされた父親は憤怒を覚えながらも「被差別部落という出自に固執するうちに、それ自体が目的と化してしまって久しい自称活動家たちの、ある種の平板さ」をも感じる。
同和地区と地区外という二項対立の発想やものの見方は同和地区住民にとっての不利益、不都合はすべて部落差別の結果といった論理につながりやすく、しばしば対話や新たな人間関係の創出の芽を摘んで来た。「自称活動家たちの、ある種の平板さ」とは同和問題のそうした一面を指していると解釈してよいだろう。
歯科医は息子の不可解な行動に部落差別が陰を落としていると考えるに至るが、同時に「この国の歴史をつくってきた差別という長いトンネルの出口で、いまだ一部に残されている柵を楯にして物を言う人びとが、ほんとうに望んでいるのは何だ?」、仮に柵が取り払われたときに待っているのは無知と無関心をネタにする新たな糾弾なのではないかと考える。
被差別部落という出自への固執が開かれた人間関係に向かわず、ときに激しい糾弾を通じて企業からの利益供与や行政との癒着、利権といった問題を生じさせた。それは就職や結婚で差別を受けてきた歴史とは異なる同和問題の一面で、こうした事情をここまで書き込んだ高村薫の力量と見識にわたしはかねてより敬服している。
ついでながら灘本昌久『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』には、米国のユダヤ人差別は改善されているのに関係団体の幹部はむやみに差別を強調する、そうしないと補助金や寄付金が減ってしまうからだという内容の、アメリカに派遣されたイスラエルの新聞記者が書いた記事が紹介されている。同和問題を含め現代の先進国における差別とカネについての一つの位相である。
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先日「ブルックリン」と「シング・ストリート」という、いずれもアイルランド関連の映画を観て、そういえばかつて読んだ高村薫リヴィエラを撃て』がIRAを扱っていたと思い出し『レディ・ジョーカー』のあとでこちらも再読を決めた。しかも野崎六助高村薫の世界』には『リヴィエラを撃て』を完成させるにあたり作者が影響を受けたとおぼしき作品としてジェラルド・シーモア『テロリストの荒野』、グレアム・グリーンヒューマン・ファクター』、ジョン・ル・カレ『パーフェクト・スパイ』の三作品が挙げられていて、グリーンとル・カレの作品は既読ながら『テロリストの荒野』は作者シーモアとともにこれまで全然知らなかった。当然食指は動き、絶版となっている同書を古書店で購入した。ここまで来ると未読の高村作品『春子情歌』と『リア王』も避けて通るわけにはいかない。というしだいでいまわたしはテレビドラマ「レディ・ジョーカー」に発した高村薫ルネサンスの真っただ中にいる。いずれも長い長い物語を前に読書意欲をかきたてている。
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読書意欲といえば『レディ・ジョーカー』に合田雄一郎刑事の読書記録があって、これが凄いの一言に尽きる。
「七月には『ブッデンブローク家の人々』と『ユリシーズ』と『大菩薩峠』を読み、八月は『カラマーゾフの兄弟』『ジャン・クリストフ』『チボー家の人々』と続いてきて、いまは五巻目の三分の二まで来たところだった」。
見習いたいというよりも唖然としてしまう。作者高村薫のさりげない書き方から窺うと、これくらいの読書は奇とするに足りない、当り前じゃないのと思っているにちがいない。たいへんなエネルギーだ。
合田刑事の読んだ作品群では亀山郁夫訳で話題となった『カラマーゾフの兄弟』を唯一読んでいるが続けてドストエフスキーを読みたいという気にはならなかった。敬して遠ざけてきた諸作のなかでジョイスの『ユリシーズ』だけは読みたいと念じて三十年、そのかん二度チャレンジしたがあえなく挫折し、それでも断念はしないと新旧の丸谷才一高松雄一、永川玲二共訳本を架蔵している。
本書ならびにプルースト失われた時を求めて』、ギボン『ローマ帝国衰亡史』、『千夜一夜物語』『カザノヴァ回想録』がこれからの余生で読破したいと願う古典的大著で、合田刑事なら半年もあれば達成できそうだが、わたしのばあいどうなることやら。
「速やかにすべき事をゆるくし、ゆるくすべき事をいそぎて、過ぎにし事のくやしきなり」という『徒然草』のいましめはもっともなことながら、いま自身の心が向かう先をも大切にしたく、両者のあいだをたゆたうのもまた楽しいと思っていて、兼好法師からはお叱りを頂戴しそうである。