神経蕪雑

ある歌手が、CDで聞いてもらう前提で音作りをしているので、mp3に圧縮してしまうと自分の聞いてもらいたい音じゃなくなってしまうと言っていて、それを読んでからというものiPodで音楽を聴くとき、大好きなこの曲も本当はもっといい音なんじゃないかと思うようになり、ちょっと不便だがポータブルCDプレイヤーを使うようにした、映画が家で観るより映画館のほうがよいのとおなじで、毎日聴く音楽も作品に最適な環境で触れ合いたい、といったことが毎週届く早稲田松竹メールマガジンに書かれてあった。
映画案内のメールマガジンらしい結びはさて措き、CDを専用のプレイヤーで聴くのとPCやiPodに取り込んで聴くのとでは違うと言われればそんな気もするが、言われなければわからないのだから、いずれにせよわたしはそれらを聞き分けられる耳の持主ではない。
レコードとCDでは再生するときのピッチが微妙に違うという話を聞いたことがある。ほんとうだとすればCDで聞いてもらう前提で音作りをしているミュージシャンはレコードとの関係をどう考えているのだろう。
ピッチの問題はむつかしい。ピアノの中央ド音の上のラ音は一般的に440 Hzの高さに調律されるが、現在の日本ではオーケストラや演奏会用のピアノは 442〜443 Hzが基準で、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はもう少し高くて 444〜445 Hzだという。CDとmp3の違いがわからない者にピッチを云々できようはずもないけれど、ミュージシャンはもとよりリスナーにもこれらを聞き分けられる人がいらっしゃるのは驚きのほかない。
繊細な感覚を持たない身は困ったものではあるが、CDもmp3もなんら不満痛痒を覚えずたのしんでいるのだから神経蕪雑もまたよしと納得しておこう。繊細さを欠く耳と鈍感も安上がりでよいものである。

耳と舌とは連動している。
先日、行きつけの飲み屋さんで友人と飲むうちにワインの話になった。ワインはすこしたしなむ程度で銘柄や年代についてはまったくわからないし、関心もない。ボージョレヌーボーへのこだわりなどまったくなく、飲んだところでたぶん見分けはつかない。
相手はわたしよりすこし詳しいみたいだったので「ぼくが晩酌でちょいと飲むくらいのワインだったら、いくらくらいのものがよいのかな」と訊ねてみたところ「そうね、きみだったら五百円くらいの品で十分じゃないかな」との答えだった。
これまで買ったワインは千円前後のものがほとんどだから、それに比べるとずいぶん安価なご提案である。わたしはこの友人にCDプレイヤーで音楽を聴くのとPCやiPodに取り込んで聴くのとでは音質が違っていて、しかし自分には聞き分けがつかないなんて話をしたことはないはずだが、なんだかそこらあたりの事情を見透かしているようでもあった。
ま、ここは、どうせ味はわかりゃしないのだから安物で大丈夫といった気持からの五百円ではなく、いつでもなんでもおいしそうに食べているわたしの姿を見ての提案だと善意に受け止めよう。
それにしてもこれまで買ったことがない五百円ワインはたのしみで、なんでも廉価のワインは氷を入れて飲むとよいそうだからそのうち試してみよう。音質論議などどこ吹く風の身に安価なワインは似合いらしい。
(写真は不忍池のほとりのあじさい)