アルフェリア宮殿(西班牙と葡萄牙 其ノ十)


〈千四百七十九年ニ至リ、「カストル」国ノ女王「イサベラ」ト「アラゴン」国王飛地南(フェルヂナン)ト婚姻シ、両国合併シ、又回徒ヲ追ヒ、「ナパール」国ヲ滅シ、三国一統ノ国治ヲナシ、此時始めて西班牙ノ名ヲ称シ、葡萄牙ノミ引キ分レタリ〉。久米邦武編『特命全権大使米欧回覧実記』より。これに「イサベラ」の「閣竜」(コロンブス)を用いた英断と聡明の記述がつづく。
バルセロナからマドリードへ移動するとちゅうサラゴサに寄った。「カストル」(カスティーリャ)王国とともにスペインの基礎をつくった「アラゴン」王国の古都で、古代ローマイスラムユダヤキリスト教、さまざまな文明が遺した文化遺産の都市として知られる。
写真はアルフェリア宮殿。十一世紀にイスラム王朝により建造されたが、のちにアラゴン王の王宮となった。現在宮殿の一部はアラゴン州議会所として利用されている。