『同調圧力にだまされない変わり者が社会を変える。』

本書は池田清彦の最新コラム集(大和書房二0一五年六月刊)。自然科学については皆目ダメなわたしの、やさしく、わかりやすく、できれば政治や社会と関連させながら論じてほしいという贅沢な願いに応えてくれるのが、むかし寺田寅彦、いま池田清彦だ。

「日本では、原発をやめたくない口実に、政府はCO2を悪の権化のように扱っているが、人為的なCO2の増大が、地球温暖化の主たる原因だという仮説は、既に崩壊して久しいのである」。
かねてよりの著者の持論だが、寡聞にしてこの異論をめぐる議論を聞かない。金持=権力は知らんぷりして済ませているのだろうが、すくなくとも国家間でのCO2の売買などにうつつを抜かすより、もっと重要な研究に金をかけるほうが合理的だと思うし、あるいは著者の言うように「人為的温暖化対策として、年に一兆円も使っている無駄金をデポジットしておいたほうがいい」のかもしれない。
究極のところわたしにはCO2と地球温暖化の関係を判断はできないけれど、池田清彦が「同調圧力」に抗して異論を提出し「多事争論」(福沢諭吉)に臨もうとする姿勢はよくわかるし貴重だと思う。異論との議論によって正論も鍛えられるだろう、そうして選択の多様化や新たな実効性が生まれるかもしれない。温暖化や原発の安全性の問題などは議会の多数決で決められるものではない。金持=権力公認の温暖化論者には地球の現状を把握するために池田清彦と喧嘩してもらわなければ困るのである。
ついでながら、がんは切れば治るのかの近藤誠医師の所説の正否をわたしは判断できないが、異論の提出でがん検診や抗がん剤の問題点と危険性について問いかけた意義は大きいと考えている。
異論や「多事争論」を嫌い、多様性を認めようとしない連中は人を縛り、意のままに躍らせようとする。たとえば「生涯学習社会」についてかねてより生涯にわたって学習なんかさせられてたまるものかと思っていたところ今度は 「一億総活躍社会」と来た。市井の隠居(小生のこと)も無理やり動員して操り人形に仕立て学習や活躍をさせたくてたまらないらしい。
これに対し池田清彦は「目障りなやつが、一定の割合で世の中にいる社会は健全だ。そういう人がいないのは気持悪い世の中だ。全員が思想的クローンとなる」「人は他人の恣意性の権利を侵害しない限り、すなわち他人に迷惑をかけない限り、何をするのも自由である。これが成熟した社会の公準であるべきだと私は考える」と述べて自然科学をめぐる問題とともに管理専一の全体主義に警鐘を鳴らす。