なでしこの敗戦に思う

読書に倦んでひと休み、ふと思いついてYouTubeでジャズの映像を探しているうちにコンコード・ジャズ・フェスティバル1986でのマキシン・サリヴァンとスコット・ハミルトン・クィテットのビデオをアップしてくれている方がいらして感激!
歌の文句じゃないけれど、若かったあのころ、人目もはばからずいち早く仕事仕舞いして一目散に地方公演の会場へと駆けつけた。素敵なコンサートだった。

マキシン・サリヴァンを有名にしたのは1930年代後半に歌った「ロックローモンド」だった。1911年生まれだからこのコンサートのときは七十代半ば、伴奏陣と息のあった、確かな歌唱力だったので翌1987年に亡くなったのは驚きだった。わが失われた時を求めてのひと時である。
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旧聞の話題になるがSMAPというグループの中で森且行という人は知らなかった。他は映画で知っていたが、かれらがSMAPというグループの人たちであることは知らなかった。NHKのニュースは民放に出演して解散取り消しを述べたグループの映像を引用していた。解散は天下国家にかかわるのか国会でも話題になっていた。平和な日本が嬉しい。
解散取り消しを表明する映像は相当深刻に見えた。そうまでしなくても、一時の気の迷いでしたがやっぱり解散は止めましたハハハ・・・面白いね、でいけないのかなあ。
それよりも解散して何か不都合があるのだろうか。グループもよいが独立自尊でわが道を行くのも結構なことではないか。わだかまりを覚えながらグループ活動しても満足なものにならないのは目に見えている。グループのメンバーも、そのヒット曲も皆目知らない老人の素直な疑問である。
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大学に入学して東京で暮らすようになり、NHKFMとは別にFM東京という民放FMがあるのはちょっとした驚きだった。六十年代末、高校を卒業するまで生活した高知市に民放FMはなく、テレビの民放チャンネルは日本テレビ系がひとつあるだけだった。
中高生のころ、定期試験前や試験中の部活のない日によくNHKFMで夕方に放送があったポピュラーミュージックを聴いた。たしか曜日ごとにジャンルが決まっていて、ラテン・タンゴの日に聴いたスタンリー・ブラック&ラテンリズムというスモールコンボの演奏がとても気に入って、LPレコードを買った。

キューバン・ムーンライト」というタイトルで、軽いタッチのおしゃれなラテン音楽のアルバムだった。スタンリー・ブラックの主たる活動はオーケストラの指揮と編曲だったが、残念ながらこれには魅力を覚えなかった。そのレコードはいつのまにか手許になくなったけれど、ときどき思い出すほどには記憶にあった。それが先ごろAmazonMusicで検索してみたところスタンリー・ブラックと彼のオーケストラとして百四十二曲がラインナップされていて、なかにスモール・コンボによる八曲が収められており、ようやくうれしい再会とあいなったのだった。

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川本三郎『東京叙情』に「個人的な思いを書けば、この夏、七十歳になった独り暮らしの身には、今の東京はあまりに大き過ぎて、暮すのがつらくなっている。人口三十万人ほどの盛岡あたりで暮したいと思い始めている」とあった。『荷風と東京』で東京の町歩きを教えてもらった身に思いは複雑だ。
川本さんの盛岡あたりで暮したいとの言葉で、1989年に六十歳で亡くなった色川武大が晩年岩手県一関市に転居していたのを思い出した。一関と盛岡、いちど旅してみたいな。
川本さんは「最近は、東京の町を歩くより、鉄道の旅をするほうが多くなった。隠れ家探しの思いが強くなっている」とも書いている。隠れ家としての好きな居酒屋がなくなって、これからどこへ行けばいいのか、と心情を吐露している。これはつらいなと思っていたところへ友人からのメールで、高知で行きつけだった、そしていまも帰郷すれば必ず顔を出すジャズ喫茶が閉店するのを知った。一ジャズ喫茶の閉店が夕刊一面のトップに載るのがいかにも高知らしい。

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なでしこの対中国戦をテレビ観戦。残念ながら五輪出場は叶わなかった。さらに残念だったのは翌日の報道記事で、選手がサポーター席へ挨拶に行ったところ「こんなんでいいのか!!」「2020年(の五輪)どうするんだ!!」と厳しい声を向けられた、とあった。
心ないファンもいるものだ。贔屓の引き倒しというよりも感情を失禁させた雑言だ。自戒をこめて、心したいものである。
負けたといってこんなことを叫ぶのなら観戦は止した方がよい。もちろんわたしだって勝ってほしかった。けれどスポーツの世界は試合が終わればノーサイドなのだ。ひとりのファンとして選手の皆さんには互いの健闘を讃え、学び合い、尊敬しあえる関係を築いてほしいと願う。なでしこには今回の敗戦を次回の勝利に繋げてほしい。そうしてこそ2020年のオリンピックが見えてくる。
ところで中高生の部活動の問題のひとつに顧問による体罰事件がある。事件が起こると決まったように背景に勝利至上主義があるといった報道があり、教育委員会が指導に乗り出す。在職時にはわたしもこうした指摘を受けた。ただ、面従腹背というのではないのだが、体罰で勝利を呼び込めるはずはないから、その真意がよくわからなかった。そもそも暴力では勝てないのである。
選手、顧問が勝利をめざしていけないはずはない。応援する側もみんな勝つところを見たいと願っている。仮にわが子が、負けてもよいなどという顧問の指導を受けていたら、とんでもないと言いたい。
そんなところへ「2020年(の五輪)どうするんだ!!」の報道を読み、なるほどこういうのを勝利至上主義というのか、そしてこの感覚と部活動の暴力は通じていると思った。
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昔、神宮球場で、早稲田の応援団が「花は桜木」「男は早稲田」という二本の旗指物を持って走っていたが、男女平等の世の中、もうやっていないだろう。こういう、ものの種類で自慢を挙げるやり方は『枕草子』以来の日本語の伝統となっていて、横井也有『鶉衣』の「百魚譜」にも「人は武士、柱は檜の木、魚は鯛とよみ置ける、世の人の口にをける、をのがさまざまなる物ずきはあれども、此魚をもて調味の最上とせむに咎あるべからず」とあった。
「よみ置ける」、その詠み置いたのは一休和尚で『私可多咄』にある狂歌と註釈されている。
「ひとは武士柱はひのき魚は鯛小袖は紅梅花は三吉野」というのがそれで、吉野の桜を挙げたぶん、梅好きには小袖の紅梅をあしらって、和尚はなかなか気配りの方とみた。ただし一説に「小袖はもみじ」とする。
下の写真は三月二十八日、満開の桜の季節を迎えようとする「花は上野」の池之端で。