パリの散歩の余韻

ジュリアン・デュビビエ監督「パリの空の下セーヌは流れる」を再見した。セーヌ河のほとりを主たる舞台に人々の織りなす人生のスケッチ集には懐かしいシャンソンが彩りを添える。昨年の秋この界隈をほっつき歩いたので親近感はひとしおだ。テロによる戒厳状態が続いているが、できればしばしこの都市に住んでみたい。
映画のなかで成績が悪くて帰宅を渋る小学生の女の子と、近所の年長の男の子がポンヌフにやって来るところで過日遊覧したクルーズ船の乗り場が映る。子供たちは川端に行くのに階段を降りる。わたしもクルーズ船に乗るのにこの階段を降り、下船したあとは河岸の古本屋をのぞき、サン=ジェルマンデュプレ界隈を散歩した。

ポンヌフにはアンリ四世の銅像が建つ。DVDを観たあと開いた堀口大學の訳詩集『月下の一群』に収めるポオル・フオル「巴里橋づくし」の一節に「新橋(ポンヌウフ)の上のアンリ四世よ/君は欠伸をしてゐるのか?/友よ、わたしと一緒に来い/笑老人河岸の古本屋で/春宮冊子をひやかさう」とあった。
こんなふうに紙上散策しながら頁を繰るのであれば韻文に弱いわたしも『海潮音』や『月下の一群』に親しめそうだ。
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玉木研二『その時、名画があった』(牧野出版)を読んだ。「街の灯」(日本公開1934年1月)から「八月の鯨」(同1988年11月)まで昭和の名画百七本が「初公開のころ身を置いていた時代の実感的記憶」の座標の上で紹介されている。
「巻き戻し再生」できないころの社会や世相のなかに映画を置いてみる試みで、著者は「名画が公開されたころの時代の空気、街の姿、人々の関心事は何であったかを、新聞資料を活用して一筆スケッチができないかと考えた」と述べている。
先日高倉健一周忌に合わせてNHKBSで「幸せの黄色いハンカチ」の放送があったが、これを例にとると公開されたのは1977年、当時斜陽産業として炭鉱の閉山は続いていたが、まだ島勇作(高倉健)は光子(倍賞千恵子)のいる夕張の家に帰ることができた。炭鉱の灯が消えたのは90年、そして夕張市は2007年に財政再建団体となった。
本書に触発されて「幸せの黄色いハンカチ」のなかの物価に留意してみると、まずは刑務所を出た勇作が夕張の光枝に出したハガキが20円、おなじく勇作が食堂で注文した大びんのビールとしょうゆラーメンとカツ丼がそれぞれ300円、300円、500円、桃井かおりと致したい武田鉄矢の買ったコンドームが1000円、渥美清の警察官が注文したニラレバ炒めとライスが400円、高倉、武田、桃井の三人が泊まった宿賃が合計6600円だった。
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「ユシェット通りの生活は相変わらず愉快で、充実していた。太陽は東のノートル・ダムの二つの塔の後ろに輝き、我等が横丁の、私を含めて三人の人間が荘厳なカテドラルでベルリオーズの『レクイエム』の見事な演奏を聴いた」。(エリオット・ポール『最後に見たパリ』吉田暁子訳、河出書房新社)より。
原書は1942年の刊行で訳書のオビには「ヨーロッパの一つの文化的頂点だった時代のパリが、その匂いや木の葉のきらめきとともにここに収められている」とある。この作品を激賞した吉田健一は東京版として『東京の昔』を書いたような気がする。
旅行のうれしいのは「太陽は東のノートル・ダムの二つの塔の後ろに輝き」といった箇所が実感できる、パリ歩きの効用が手にした本から感じられることにある。

「今や遠く歴史となってしまった戦後の時代(1918-1930)は、時の流れから滑り落ちて俯せに倒れたようなものだ。一九二十年代という時代が崩壊した時、それと共に十九世紀における価値あるものすべてが崩壊したのである」。これが著者の眼に映った現代史である。
第一次大戦後、敗者のドイツは極度のインフレに苦しんだが、勝者のフランスも国防予算の増額に耐えなければならなかった。「カフェ・サン=ミシェル」で、クロワサンが小さくなったと文句を言う客に対し店の夫人は、軍隊に年額百二十億フランを要求したマジノ国防相を非難した、といったふうにエリオット・ポールの観察はなかなか細かい。(そういえば濱口緊縮財政のころ寺田寅彦が、電車の切符が薄くなったようだと書いていた)
こうしてフランスは「古き良き」時代を喪った。戦争がほんの少し前の時代を遠いものにした。
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常盤新平『マフィアの噺』(文春文庫)を読んでいたところ「マフィアという世界に生きる人たちにとっては、それは犯罪組織ではなく、一つの生き方(ア・ウェイ・オブ・ライフ)だった」とあった。凡庸な書き手だったら「一つの生き方(ア・ウェイ・オブ・ライフ)」は「生きざま」にしていたと思う。
先日閣僚辞任の記者会見で甘利明氏は「何ら国民に恥じることをしていなくても、私の監督下にある事務所が招いた国民の政治不信を、秘書のせいと責任転嫁するようなことはできません。それは、私の政治家としての美学、生きざまに反します」と述べた。
常盤さんの「一つの生き方(ア・ウェイ・オブ・ライフ)」に較べて下品というほかなく、「生きざま」の方の人品骨柄がおのずと知れる思いがした。
自分の語感を絶対というつもりはないけれど、わたしは「生きざま」に恫喝の要素を含んだ見せびらかしや一人よがりのヒロイズムを感じる。甘利氏の記者会見のばあいは後者だろう。事務所として不正なカネを受け取っておきながら、反省よりも自身のヒロイズムに酔っているような気がしてならない。
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Amazonに音楽聴き放題のサービスがあるのを知って申し込んだところ、そのラインナップの凄さに驚いた。聴くのはジャズが中心で、たとえばクリフォード・ブラウンのコンピレーションが百曲ドドーンと来たり、テディ・ウィルソンとジョー・ジョーンズのピアノトリオのコンプリートが収められていたりでうれしい悲鳴状態だ。
好きなアーティストや楽曲を検索してあれこれ聴いているうちに時間はたちまち過ぎる。それはよいけれど困ったことに読書の調子が狂ってしまって、読んでいても気持はすぐに音楽に向かう。じっくりと読めない。贅沢いってはキリがないが早く平常心に戻さないといけない。
映画とドラマ見放題のサービスもあり、イタリアから帰国して、さっそく検索したところ『ゴッドファーザー』三部作もラインナップされていて、おまけにAmazonミュージックには三作で用いられたニーノ・ロータの音楽がまとめられている。提灯持ちをするつもりはないのだが、ことのほか嬉しく、ありがたく、よく出来たサービスなのだ。
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江戸時代の書物ですべて原文で読み終えた書物はわずかに二冊、一冊は荻生徂徠『政談』、もう一冊は根岸鎮衛『耳袋』、ともに無類の面白さで、前者は二読、後者もそのうちぜひと考えている。根岸は江戸時代中期から後期にかけての旗本で、南町奉行に任ぜられた。その詠んだ狂歌に「なくてよきものは女と香の物うつり香いとふ老いの身なれば」というのがあり、大田南畝がそれを「なくてならぬものは女と香の物人の際にも飯の際にも」ともじっている。
根岸鎮衛に晩年五百石の加増があった。そのときの狂歌「御加増をやつといただく五百石八十の翁の力見てくれ」。「八十の翁」はほんとうに「女と香の物うつり香」を厭うようになっていたのだろうか。香の物はどうでもよいけれど、前者は難しい。
「なくてよきものは女と香の物」か、あるいは「なくてならぬものは女と香の物」か。諸兄のご判断は如何。「気力や性慾の廃退はともかく(中略)女なぞもうどうでもよいというのは、うそである」とは室生犀星の言である。