「エベレスト3D」

「さァさァ皆さん、二十世紀の大発明『活動代写真』はこれだ!居ながらにして西洋の風景や老人子供、きれいなハイカラさんの踊りなどが、動く写真となって、ソレあのようにこっちへ歩いてくる、ああ笑った、ころんだ。オヤ、今度は汽車が走ってくる、だんだん大きくなる、危ない」。
田中純一郎『活動写真がやってきた』(中公文庫)にある呼び込みの声だ。
いま人はスクリーンに汽車が走ってくるのを目にしても驚かなくなったけれど、それでもわたしたちはこの呼び込みの延長線上にいる。疑う人は「エベレスト3D」(バルタザール・コルマウクル監督)の立体効果によるエベレストの奇観壮観と標高8000メートルを超えるデスゾーンの恐ろしさを観よ!
事実に基づく話なので言いにくいけれど「見世物」としての映画を堪能した。どんなふうに撮影されたのか、ぜひとも詳しいメイキング映像も観てみたい。

一九九六年、エベレスト登頂をめざすベテラン登山家が世界各地からやって来る。万全の準備で臨んでも本番では想定外の事態が出来する。体調不良や天候の急変、その結果グループから取り残される者も出る。ブリザードが襲い、酸欠状態が迫る。
こうした身体条件や自然条件とともに忘れてはならないのがエベレスト登山のおかれた社会的条件で、そこのところも興味深かった。
終結した登山家は企画会社の募集に応じたもので登攀も商業化やレジャー化と無縁ではない。参加者が多くなれば順番や開始時間等を定めて混雑を避けなければならない。
これらの条件が重なって雪嵐に巻き込まれた十一人が犠牲となった。
参加したなかに一人の日本人女性がいた。登山のシーンになると重装備になるので見分けがつかない。スクリーンを見つめながら、日本人女性は大丈夫なのか気にしている自分に気がついた。こういうばあい、国籍にとらわれず人間平等、インターナショナルな立場になければならないのかな。
白井聡、カレル・ヴァン・ウォルフレンの対談『偽りの戦後日本』(KADOKAWA)に、「愛国者」と「ナショナリスト」は日本では混同されているが、じつは似て非なる存在で、愛国者とは、純粋に「国を愛する人」を、ナショナリストは「自分の国が他国よりも優れている」と考える人のことを指すといったことが語られていた。わたしはどちらなのだろう。
(十一月九日TOHOシネマズ日劇