ときには説を曲げて・・・

ちかごろいちばん愉快だったニュースは六月四日の衆議院憲法審査会で参考人として出席した長谷部恭男早稲田大学教授と、小林節慶應義塾大学名誉教授が安倍政権の成立をめざす安全保障関連法案を違憲としたことで、とくに長谷部教授は自民党が推薦した方だったから、首相、幹事長はじめ党のエライさんは唖然茫然だっただろう。
ある政党が選んだ参考人が議場で推薦した政党の期待に沿わないどころか党の見解と反対の意見を述べるのはまれではあるが皆無ではない。自民党一党支配だったころ、初代気象庁長官や埼玉大学学長などを歴任し一九八五年に文化勲章を受章した和達清夫先生は、環境関連法案の国会審議で与党自民党が推した参考人だったにもかかわらず、政府提出の法案と野党案とを比較して、野党案の方が優れていると断じて大きな話題となった。
報道によると長谷部教授を選んだ自民党の責任者は同党憲法改正推進本部の本部長船田元代議士である。その人選が、長谷部氏の憲法学説を精査したうえで法案を違憲とする可能性が高いと睨んだ確信犯としての行為だったのか、無知から来たミステイクだったのかはわからないが、いずれにしてもなかなかおもしろいことをしてくれたもので、これを機に国民の法案への注目度はだいぶん上がったと察せられる。
船田先生の祖父は船田中という元衆議院議長の大物政治家、父の譲も栃木県知事や参議院議員を務めている。祖父や親の七光りの割には保守本流の座に居づらかったらしく、政治遍歴はあっち行ったりこっち行ったりと目まぐるしい。
自民党竹下派にあっては小沢一郎の側近だったが、新進党内の小沢一郎羽田孜の確執では羽田側に付いてその一派の事務局長格で活動していた。それが新党さきがけ鳩山由紀夫といっしょに新党をつくると言って物議をかもし、その志はほどなくして取消し、そうしたことを経ながらいつのまにか古巣の自民党に復党していた。
新進党時代、同僚の元NHKアナウンサーで参議院議員の畑恵女史と交際するうち写真週刊誌にフォーカスされ「政界失楽園」と世間を賑わせた。四十二歳の妻子ある代議士と三十四歳の女性参議院議員の不倫騒動だった。さきごろ共産党の吉良よし子参議院議員や中川郁子農林水産政務官が路上でチューをしたとかで騒がれていたけれど、吉良議員のばあいは「若く明るい歌声に」ほどのものだし、中川政務官となんとかという陣笠の議員との路チューは元祖「政界失楽園」とは格違いで迫力を欠いている。比較すれば満月の前のホタルのようなものだ。


ついでながら昔の政治家はもっとスケールの大きな話題を提供してくれたぞ。
安倍首相の祖父岸信介は某大女優と、松野頼久維新の会代表の父君松野頼三は元タカラヅカのトップスターと取りざたされたものだった。真偽が不明なので名前は書かないけれど不倫のお相手(当時は不倫といった垢抜けた?感覚ではなく妾の調達といった感じ)は大物とするに足る。業界内でチマチマやりだしたのは「政界失楽園」あたりからで、それがいまは路上でチューだ。
閑話休題
話を戻すと船田先生は一九九九年に前妻との離婚が成立し畑恵先生と再婚した。
わたしが日本の政治で関心のあるのは議員諸公の生態、とくに色と欲の方面、具体には酒やセックス、品物や現ナマとの関わりで、政治学の勉強を兼ねて(わたしは大学は政治学科だった)生態ウォッチングをしてきた関係で「政界失楽園」と揶揄されたころの週刊誌が手許にあったりする。そこで久しぶりに話題の主となった船田先生のニュースをより深く理解するために、いまは旧聞となった週刊誌の記事を参考にしてみたい。
以下は「週刊文春」(一九九六年八月一日号)にある船田先生の「激白」。
「私は優柔不断なところがあるんです」。
「ところが、彼女(畑恵)は説を曲げない。それで『とにかく一度こうと決めたら、貫きなさい。貫いていけば、そこに船田の真価が出るんです』とアドバイスをしてくれる。精神的サポートをしてくれるんです」。
これまでの政党遍歴を見ればあらためて優柔不断を強調されなくてもおっしゃるとおりなのだが、それにしても政治家があっけらかんと自分のことを優柔不断でーすと語るのには時代を感じる。マクス・ウェーバーが論じたように、どのような不利な事態に直面しても「にもかかわらず」と言い切って信念を通す人間だけが政治への天職を持つのではなかったか。それが優柔不断と軽いノリで週刊誌に「激白」して許されるやさしい時代である。
その優柔不断男が説を曲げない女史にアドバイスやサポートを受けているうちに惚れて惹かれていったのは当然の成り行きだった。説を曲げない強気の女に支えてもらっている優柔不断男。「政界失楽園」の深層はここにあると当時わたしは考え、同時に船田先生の政界遍歴に問われているのは「説を曲げる」かどうかの次元ではなくてもうひとつの「節」つまり自身の信条、存念、人間としての信義にあると判断した。
説、すなわち意見や主張は時と場合によって変わるにしても、変わり方は人間としての信頼に足るものでなければならない。説を曲げ曲げしている優柔不断男の政界遍歴に問われていたのはもうひとつの「節」だったのである。
先にものべたように今回の長谷部教授の人選が確信犯としての行為だったのか、無知から来たミステイクだったのかはわからない。そこに個人の節と説がどのように絡んでいたのかの見極めはさらにむつかしい。節も説も曲げたくなかったのに蓋を開けてみたらとんでもない人を選んでいたのか、あるいは自身の節を曲げないために党の説を曲げる人を選んだのか、可能性はいろいろと考えられる。
いずれにせよ煮え湯を飲まされた安倍首相は船田先生を要注意人物の列に加えたはずで、今後の立身出世には影響するだろうが、なに、そこはいまの奥様がおっしゃるように「とにかく一度こうと決めたら、貫きなさい。貫いていけば、そこに船田の真価が出るんです」。それに与野党問わず政治家の職務に国民の政治への関心を高めることがあり、その点で船田先生は職責を全うしたのはまちがいない。