「海街diary」

早いもので一九八四年に「お葬式」が公開されて三十年以上が経つ。そのころ読んだ批評のなかに、現代に小津調を巧みに活かした作品と論じたものがあったのを「海街diary」を観ているうちに思い出した。
ありきたりな表現なのかもしれない、それに小津調という括りに多義性を顧みない感じがしてわだかまりを覚えないわけではないけれど「海街diary」はまずはそう言ってみたくなる作品だ。それとこの映画はもうひとつ四人姉妹の物語という点で「細雪」を連想させる。
小津と谷崎を繋ぐイメージを採り入れながら描かれたある家族とその周囲の人たちの物語、切なさとすがすがしさが巧みにブレンドされた語り口、鎌倉の四季を背景とした美しい映像、華やぐ女優たちの共演……その背後には、崩壊した家族、離別し不在となった父母への残された娘たちの愛憎、瞬間的であれ子供心に映った家族がいっしょにいることの至福、「奥さんのいる人を好きになった」男と女の心模様を見つめる是枝監督の目があり、小津の視線を取り込んだまなざしがある。

鎌倉で暮らす、看護士の香田幸(綾瀬はるか)、銀行員の佳乃(長澤まさみ)、スポーツ用品店勤務の千佳(夏帆)。十五年前に父は姿を消し、母も出奔した。近くに住む祖母(樹木希林)に援けられながら三人は自分たちで生活し、社会人となった。
ある日、彼女たちのもとに父親が亡くなったという知らせが届く。葬儀が執り行われた山形で三人は異母妹の中学生浅野すず(広瀬すず)と出会う。父の最後の女性はすずの生母ではなく、彼女は父の不倫相手とのあいだに生まれた子供だった。父の死とともにすずは血縁のある身寄りを持たない身となった。そのすずの健気で気丈な姿を見て幸は、鎌倉で自分たちと一緒に暮らさないかと持ち掛け、まもなく四人の一つ屋根での生活がはじまった。
幸、佳乃、千佳の恋に両親の離別した事情が微妙に影を落としている。自分の出生の事情を知るすずが「奥さんのいる人を好きになるのはよくないこと」と洩らした言葉が、ひそかに妻ある医師と関係を持つ幸の心に響く。なにげないひとことが思いもよらないさざ波を立てる。感情を吐露してはいけないと自制しても、どうにもならないときがある。それらのことどもを挟みながら彼女たちの暮らしはつづく。やがて離れ離れにならなければならない予感を封印した、自立と助け合いの鎌倉の日々だ。
香田の家は畳と障子のある空間だ。古い一軒家の近くを古都鎌倉と湘南藤沢、江の島を繋ぐ江ノ島電鉄が走る。この家で四人の姉妹は畳に座って飯台を囲み、しばしばなじみの食堂と喫茶店で憩う。そこに、しらす丼しらすトースト、おばあちゃん秘伝のちくわカレー、自宅に生った梅の実を漬けた梅酒などが配される。
その畳と飯台は家族が揃っていたころのなつかしいアイテムであり、料理の数々は思い出のよすがとなっていて、幸はもとより両親の記憶をほとんど持たない佳乃と千佳にも郷愁を喚起する。やがて四人が離れ離れになったとき、それぞれの空間は椅子とテーブルが畳と飯台にとって代わっているだろう。そのとき、これらは鎌倉でともに暮らしたかけがえのないひとときを象徴するものとなっているにちがいない。
いまと、スクリーンには表れない将来と、二つの定点から振り返るノスタルジーが愛おしく、心に深く迫る。
(六月十八日TOHOシネマズ日本橋